リモート日記 うそぴょん編

サブスクリプションという形態は労働に類似しているせいで何もかもが義務化されて新型うつはこれなのかって気分にさせられる。NetflixAmazonのなんか電子書籍のやつ(裏モノJAPANの2000ページ総集編を読み続ける日々、脱獄者の手記が鳥肌ものだ、フェイクかどうかはどっちでもいい。最近コンスタントに出ているシックスサマナはくだらないが本当にいい同人だと思う)、なにかと炎上しがちなCakesはもう解約して、迷いに迷った挙句結局mubiも登録した。mubiは見れる範囲のラインナップで素晴らしい。案外英語字幕が疲れず、わけのわからない言語でも語調をつかんで字幕を見るものなのかと当たり前な感動さえする。アジアの映画は特にそう。大阪弁よりも伝わるものがある。リアルで話していても大阪弁弁は話者の気持ちがまるでわからん。語尾はわりかしなんでもいいから利便性としての標準語調というものの普及を求めたい

mubiでよかったのは”Family Romance LCC”がぎょっとした。舞台は日本で実際にレンタル家族レンタル友達サービスをしているファミリーロマンスの社長が主人公で、死んだ父の代わりになり娘と交流しているうちに心が乱れて…というストレートな話なんだけれど、出てくる俳優は素人が多い。監督のヴェルナー・ヘルツォークはドイツの60年代から撮っている人で初めて見た。取り直しなしでゲリラ的に4Kのハンディであり得ないくらいの寄りで撮るんで圧倒された。なんか既視感あると思ったらAVの距離感。裏ビデオの流出ものの生生しさに極めて空気が近い。

裏の裏は表っていうのはマジな話で嘘は2回つけば真実に帰ってくる。裏ビデオの流出物は何がいいかというと、編集前の素材が出てしまっている場合が多くカットがかかりかけの男女のやりとりを見ることができるところ、勃起加減を気にしたり避妊具をつけるタイミングだったりが残されていてほほえましくなってしまう

ファミリーロマンスは監督の意図以上にリアルな入れ子構造がある。レンタル業なのにと本業の先行きを不安にさせるほどの大根役者の社長が父として年ごろの娘に絡む。年ごろの娘まひろ役のまひろも年ごろゆえの大大根だしカメラが近すぎる。現実の虚構さをなんたらと宣っている以上にこの疑似親子の絡みは映画の虚構性を通り越して生身のそのひとたちリアルな存在を際立たせてきていて、見ていて何重にも切なくなった。映像メディアをセルフプロデュースの手段として飼いならしている現代において、映画は人を裸にする機能が際立ってきていると思う。ザノンフィクションよりもAVよりも。ザノンフィクションは大きなSNSなんだよな。AVは整形費用のキックスターターにつきあうので本当につまらなくなった。直感的なコンセプトで雑に撮った映画がひとの情動を記録した貴重なアーカイブに今後なるんじゃないかと思う。プロレスもかなりマジだしレスラーはどんどん政治家になってくれ。

今読んでいる高見順『いやな感じ』もそんなようだった。恐喝した金でアナキストがバイタに入れ込む話。バイタって変換で漢字にならないじゃんアルバイターの語源なのに… 現代小説でやたら売春が出てくるのも嘘を2回つけるからだろう。本当の恋愛なんか誰も知らないっていうのがひとつ、ショートな触れ合いは明確な疑似恋愛だというのでひとつ。だから売春は人生のトロの部分なんだアナキストという独立して生きるために他人を巻き込む矛盾した身分がバイタへのガチ恋に拍車をかけていて本当によかった。そんでアナキストやらボル派やらの隠語がかっこよくてそれらの由来が知りたくて新修隠語大辞典を買っちゃった辞書類くらいデカいものは部屋の隅に積んでおくとなかったことにできて案外便利だし。この辞典の成り立ちが嘘みたいで、もともとは広島県警が取り調べでヤーさん(転売ヤーの語源です)の言っていることがわからないから編んだものらしいがいまは三万項目、おもったより淫語は少なめで有用なんだった。

阿部和重とかベールイとか最近爆弾が出てくる小説ばかり読みがちに。せっかく目に見えない爆弾が市中に散らばっているのに案外みんな行儀良くて驚く。いまこそ官邸前に集まればいいのに、わけわからん。平時に集まるんだったら叫んだりするより各々が大型犬連れて散歩のていでデカいクソたくさんさせては拾って、ウン筋だらけにしたほうがいいのにとかねがね思っている。音楽は決して捕まえることはできんけど匂いはしばらく残るそれにしてもここ臭くない?とかつてドルフィーが宣ったように。テ口の機運が高まっているのかどうか、わからずもやもやする。とりあえず駅前に申し訳程度に置かれている汚すぎる公衆便所爆破したいなキモいし

リモート日記 終焉編

三体が発売だっていうのに急に忙しさが戻ってきて最悪な気分。一部はKindleで買ったから満員電車で読めたんだった。いまはそんな判断をしたときの気持ちを思い出せないくらい電車は空いている。咳をしている人の隣の席はだいたい空いてて座ることができる。

だいたいの仕事っていうのは他の人が時間をかけなくて済むように技術を使ってお金をもらってる。生産的な生産。自分の仕事で誰かがそうなってんのかは謎だ。子供の憧れユーチューバーみたいに無為な時間を増殖させてないだけよしとするか。 

はやく世界がめちゃくちゃにならないかな

 

リモート日記 マイルスのオジキ編

よく行く近所の喫茶店禁煙ファシズムの影響下で孤軍奮闘しているせいか、だんだんマルチや芸能事務所詐欺等、客層がろくでもない感じになってきた。コーヒーはおいしいんだけど。今日は中年男性のグループが家族との諍い話を大声でしているのが断片的に耳に入る。オヤジ…借金…競馬…懲役明け…かばう…オジキ…利息…くらいでこれはロケット団なのかしらんと合点、7日で1割というは高利息に冷や汗をかきつつ自分の机に五本の爪の跡(鬼の萬田はんがまだ若き頃、客に茶店で追加融資を懇願されるも返済不能と判断して初めて心を鬼にしてライターで手を燃やした際にできたというあれです)が無いか確認するもレジ横から持ってきた別冊映画秘宝カルトムービー特集くらいしか物騒なものはなく安心。

飲食店はどこもつぶれず乗り切ったようで安心。むしろちまちま商売してたところは営業短縮と助成金で楽したみたい。これからどうなるんだろう。インド料理屋は最近ネパール人がやってることを前面に出して言葉を教授してくるもののネパール料理がいっこうに増えない。それと発泡酒という概念を理解していないのか、生ビールが時価仕入れ値に応じて乱高下する。正直でいいな。ネパール人の店はクロージングタイムがはっきりしてないところが多いと思う。夜中も客は入れるけど、平気で掃除したり広い席で休んだり大声でスカイプしていたりしていて、落ち着く。しかし東京の飲食店は総じてぬるいな。たまに地方に行くと気合と優しさに圧倒される。どっちのよさもありますね。

 

久々に古本屋でゾーンに入って2時間ひたすら棚を見た。文庫が全体的に安く実家にあるから躊躇していた日本の小説を買い直す。柴田元幸関連、創元、岩波ジュニア文庫が異様に充実していて楽しかった。ジュニア文庫はつくづく誰に読ませたいのかわからない。子供の頃親に読まされなくてよかった(うちの両親はろくに本を読まず、子供の頃の私に新幹線ホームの売店吉田類の酒場放浪記をおすすめしてきたほどだ。あと太宰。とりあえず太宰というのはなんでなんだ、とりあえず清張や小松左京ならまだわかるけど。しかしハルキストじゃなかったのが不幸中の幸、あれは危険思想なので)。ひねくれ小説ばかり読んでたら今頃テニスボールを使ったアナルオナニーに精を出していたはず。ぞっとする。

あいうえお順と出版社ごとのバランスが文庫棚の見せ所。欲を言えば国書刊行会がもう少しあれば、でもサンドニ『夢の操縦法』をゲットだ、探してた。

菊孔関連本が大量に出ていてげんなりするもおかげでマイルスデイビスの自叙伝をゲット。最近マイルスのキャリア末期の動画が増えてまた気になっている。ずっと好きなのは70年前後のロックにあてつけたゴチャゴチャした盆踊り期。当時の若いメンバーの親はその意味のまるで無さに泣いてたと思う。フィルモアライブはほんとうに良い。生まれてきて本当によかった。最期の5年くらいのマイルスは多重録音を始めて音源の緊迫感がまるで無く笑ってしまうし、ライブでもまるでインタープレイが無さが怖くて避けていたんだけど、YouTubeみてると結構そうでもないことがわかった。基本的な流れとしてはフュージョンめいたブラコンでマイルスは最初にソロをとる→執拗にずれたモードをなぞってバンプ(霊言くらいぼやっとしたFMシンセとアフリカ太鼓)が少し曲がる→サックスのお兄ちゃんがデロデロ吹く。マイルスの倍尺で創造性なし→テーマリフてマイルスかピョ、ピョてする→バンプが曲がりつつギターかベースのソロ、複数人いるので馴れ合いで掛け合い→テーマリフでマイルスがピョ、ピョてして終わり

というこの構造、老体がめちゃめちゃ省エネで曲全体にアドリブを効かせている。基本ゴルフしていてたまに出てくる社長にマイルスはいよいよ成り果てたんだと思えば納得できる。しかしこんなややウケな音楽は後にも先にも他に無いだろう…てことで何考えてんのか知りたい所存。エレクトリックマイルスの研究本は最近いいのがでてて、基本的にはスタジオ録音を切り貼りしてライブテイク等別素材に使いまわしていたらしい、テープの時代によくやるよなと思いつつソリストのモードのずれが肝なんだという思いが強まった。

 

外出できないことに対するストレスが全くないことに自己嫌悪してしまう。平時には戻ってもこの間の習慣やテクノロジーが日常を不可逆に更新してしまうだろう。ネット乞食ではどうにもならない業種がたくさん出てくると思う。ほんとうにその店の人が好きなら中途半端に手を差し伸べるのは残酷すぎる。後に引けなくなるし下手に背負わせず新たな門出を祝ってあげるべきだ。いつおさまるか誰にもわからないけど、とりあえず今ではないのは確かだからな。戦闘機のケツから出るモクモクに抗ウイルス成分少しでも入れりゃよかったのに。

リモート日記 お遊び編

何を今更感もある昨今沸き起こる政治不信は日本の政治のあり方がターニングポイントに来ていることを示している。ポピュリズムとの対峙という課題は共通しているものの、それは欧米諸国が直面してるイデオロギーの揺らぎの問題とはかなり違う。日本の場合、民主主義への信頼はかつての成功体験や理想のモデルに裏打ちされているものではなく、歪みつつなんとなくうまくいっちゃった20世紀の技術信仰が完全にオカルト化している過程なんだと思う。

 

mechanic artsの訳語として技術という日本語が充てられた時点で今の糞詰まり感は決定されたようなもんだ。総合大学から完全に!完全に分離した形で芸術大学が発祥して、芸大生は粛々とお遊びを続けて今に至りなんだかんだでSNSのネタになった。アートという日本語は技術以外を消極的に意味するようになってから皮肉にもスクーラーとパンクカルチャー・アンダーグラウンドカルチャーの接続を容易にして、もし日本のアートの成功があるとすればその結果なんじゃないかな。

 

アーロン・S・モーア『大東亜を建設する』は戦前戦後を通じて日本が技術を使って合理的に統治・政治してきたことを示す。ありがちなテーマだとは思うけど技術官僚による戦前と戦後の接続という視点は外国人研究者ならではだろう。こんな本が10年以内に翻訳されていてありがたい。すごいな人文書院。こんな地味な本売れるのかな。しかしスリリングではある。

 

テクノ帝国の合理性はGAFAの台頭の頃には確実に付加価値を見出せなくなって、いまいよいよ、議事録なしの専門会議を要するほどのバイキンの不確実性を前にして完全に迷走するに至った。我々は多数決でうまくいった試しがない。何度か怒ったりはしてきたけどその都度うやむやになって巷にはロン毛野郎が増えた。キューティクル以上に大事なものなんて何もないんじゃないか。技術の副産物を享受する形で合意を受け入れてきただけだから。報道のなかで浮きまくってるように思えるトヨタの業績ニュースは確実に前世紀の福音だったし今なおハゲオヤジ共を敬虔な気持ちにさせるんだろう。でも確実に夢はあったな、出自を問わずばりばりサラリーマンになって技術戦士となって勝馬に乗った気になれば気分は良かっただろう。ドル円レートの追い風は無視しつつ、勤勉だとか自負してればよかった。技術こそがパン、技術こそがサーカス。だらだら年金もらっちゃってさ。うらやまっすわ。こんなふうに半世紀以上楽な思いして暮らして支給日直後にかき鳴らす1パチの玉音を聞いたら、旧日本兵の英霊も安心して成仏するんじゃないか。

 

確実に勤勉ではない自分はこれから何に価値があると信じたらいいのかわからない。行動監視上等だ、寂しいからな。絵でも描いて遊んでればいいのか。絶対変なことしないから!でもキスしたい。ふれあいたい。

リモート日記 理由なき犯行編

特定の人へのメンション(かつ明らかに当人が知ることになる場合)について問題になるのはまあいいとして、キモい言葉や考えが取り締まられないことを祈る。キモキモインターネットよ永遠なれ。

 

週刊プロレスの表紙巻頭は追悼特集、明るいトーンで素晴らしい。読み飛ばしていたけど彼女は15回もの連載を終えたばかりだったらしい。埋もれていたところはあったけれど人間味のあるいい人だ。本来何考えてんのかわかんないくらい怖いのが正しいんだろうけど。中特集ではコロナにちなんで馳浩とタイガージェットシン巌流島の無観客試合を振り返る。岩肌でぽつんと二人血だらけでホテル宿泊客に軍靴の音を聞かせがちな旧日本軍の亡霊もあきれ返るであろう地獄絵図だがそれは硫黄島だった。片方がいずれ大臣になるなんて誰が予想できたんだろうか。安倍の100倍終わってる人事。けどイノキの北朝鮮外交はすごい。

 

プロレスはWWEロールモデルにして日本でもサブスクが去年あたりから増えてきて、各団体動画も充実している様子。これがなかったら経営はもっと危なかっただろう。当然無観客のほうがカメラの角度が良いこともあり大日のサブスク契約しようか迷う。しかし動画を見る暇を捻出するほどつまらないことはない。30分の動画を3分で見ても楽しくないところにメディアとしての限界がある。訓練しても早く見れないし。そんな面倒なのは映像情報だけだ。スコセッシフィルムはそれを逆手に取り客に退屈と向き合わせるガッツがすさまじい。寝ることも許されない退屈がそこにある。奴は時間になんか恨みでもあるのか。時間に親を殺されてたりしてね。まさか!

 

タコシェで通販。探してた映画ガイドの絶版本があったので中国語の勉強のモチベーションにしようと狙ってた漫画とあわせめ購入。去年中国語の年間5000円のネット教材を購入したはいいものの、購入してから会員同士で話すモードがあることに気付き怖くて一度もログインできてないまま1年が経ちそうで、さすがに向き合う時期がきた。向上心のあるアングロサクソンと、たどたどしいアジア人の俺くんとの会話、想像するだけでぞっとするな。

 

コミックLOを数年ぶりに購入。いつのまにかAmazonでは買えなくなっていて憤る。Amazonはへんなナマコみたいな形のバイブ売ってるのにLOが売ってないなんておかしい。そんなの知ったらベソスが泣くぞ、ベソベソってな。へんなナマコみたいなバイブの市民権はAmazonのおかげで大変なことになってると思う。クリを刺激するっぽい例の胴吹き枝に疑問を持たないくらいのつきあいがちょうどいいだろう。あんな細いのが都合よく生身のクリに当たるかどうかは深追いせず、誰かがノリで考えたであろう例の形状を惰性で大事に残してほしい。バイブくらいは日陰物であってくれ。20xx年、いつか人類のちんちんの根本に実際クリに当たるか当たらないかわからない胴吹き枝が生えるその日まで… 快楽を目指すだけおもちゃなんてカワサキのninjaくらいの野暮さだろうし、例の形状をやめてしまうなら絶対にその程度のシェアであってほしい。最近白ninjaならアリかな、と思ってきた。いっそ125がいいのか。

で、LOはというと時事ネタ抜き相変わらずの元(保育園の)生徒、義妹、柑金、精カツ(精子の美容効果が話題となり犬年齢でいうと8ヶ月くらいの若者の間でもオヤジの精子狩りが横行。膣内での摂取が最も効果的とされて初潮前だから(ここだけが弱くて残念リスク回避の判断がめちゃくちゃで納得できない)犬年齢でいうと8ヶ月くらいの女性は膣内で摂取する)、といった調子で安らかなキモさを得た。表現技法としては主観でもないのに引きの絵でサオだけ浮いてる構図が新鮮に目立つ。あとはイラマで溝落ちのあたりまでちんちんが入るようになったことが人体輪切り描写でわかる。定点観測として非常に有益。LOがちょっとコロナネタに走った頃には日本で100万人くらいシんでるんだろうな。そのときも笑ってLO読んでたいよ。棺には入れないでください。

 

 

リモート日記 収束編

もっと世の中めちゃくちゃになるかと思ってたのにもう日常が戻りつつあり肩透かしくらった。人間とよくわからない小さなゲジゲジとの戦いはとうにリベラル秩序と監視社会との代理戦争に変容したとみる(とすれば中国発ということは極めて綺麗なシナリオ)か、時たまどうしようもない夕立ちが降ってきた際は雨宿りしつつ皆の様子を案ずるべきだという心持ちでいるかだ。

 

SFの想像力で太刀打ちできるものって何なんだろうか。バリントン・J・ベイリーというSF作家の想像力は少なくとも現実をみるスコープとしてなんの役にも立たない(いまの現実と向き合いたいならプロレスだと佐山聡は言うだろう。思い切りいけ!なめてんのか!コロすぞこの野郎!)神殺しの銃とか2chに鬼カキコした星新一のような無為なガジェットを満載したベイリーの約半世紀にわたる作家人生は本当に.02くらい次元がずれていたんじゃないか。ほかに思い出すのはボリス・ヴィアンのいくつかの小説に登場するシャボン玉が出るピアノ、彼の心のベストテン第一位はエリントン。エリントンはソリストがいないスローな曲をたくさん残してたら今でもみんな聴いてたかもね。そんなぼやーっとした曲たちをこないだ夢で聴いた。これからまた聴きたいけどきっと昼寝じゃないと厳しいだろうな。

リモート日記 おもしろ動物編

南の島の、アイアイという動物を知っていますか。お猿さんかつお母さんにライブの送り迎えしてもらうハードコアバンド、バッドブレインズのメンバーでもあり、I against Iを標榜する様はまさに哀哀。動物ってマジで自分のことなんだと思ってんだろ。ずっと転んだり起きたりして無駄な動きをしているパンダやコアラ等の小動物を上野で眺めてるとゾッとする。特別コアラはユーカリの葉が持つ成分を摂取してるせいで身体がやられてるって話だから仕方がないことだけど。でもそんなの佐山聡が知ったら、精神力も技術のうち!舐めてんのか!コロすぞ馬鹿野郎!とコアラをボコボコにすること必至だ。これ以上人間のせいでいろんな生き物を絶滅させてはならない。上野で見世物になって自ら環境保護を訴え続けている彼らには感服する。年パス買おうかな。いっぽうコロナウイルスは無生物だから一網打尽にしよう。思いっきりいけ!コロすぞ馬鹿野郎!

佐山聡の練習生への仕打ちは少なくともその場では愛の鞭などではなくて憎悪によるものだったのだと察する。憎悪こそ大体の行動のエネルギー。これは食べログのレビューのバランス見て気づいたんだけど。どんな地獄の特訓であってもプロレスリングというスクールの中で守られているので一線は超えないし実際コロされたりはしない。国技であるとされる半裸のデブがしばきあうゲームは別みたいだけど。本当に怖いのはスクールの外に出た時、レスラーはただの人間になる。グレイシー狩りを敢行し2000年代初頭明らかにレスラー最強とみなされた桜庭和志は最強の格闘技は何かを決する夢の舞台、大晦日総合格闘技戦で身体からヌルヌルする成分が出る特殊体質の柔道家(やわら、というのはまさにヌルヌルのことである)にまさかの敗北を喫した。試合中にすべる!すべるヨォ!と声が出てしまうほどのプロレス外での経験の差が露呈した形だ。関係ないけどテレンス・リーも街中でボコされたしね。翻って現在、SNSと呼ばれるスタイルの使い手が数多の格闘家を脅かしている。これまでの格闘スタイルでは禁じられていた、コロすぞ馬鹿野郎という発声を無限のヴァリエーションでひたすらに繰り出すスタイルだ。これに対抗できるのはただひとつ、忍びの道に古代より伝わる文春拳法しか存在しないと言われている。ひたすら相手の隙を窺い、一撃で相手を仕留める。紙の爆弾を駆使する傍流も存在すると言われているが…

 

自分は何者か考えるとわけわからなくなる。無為にSNSをみていてわかってきたんだけど、鬱病であることをプロフィールに載せるという行為が市民権を得つつある。この傾向がエスカレートとすることは好ましくない。誰が水虫かとかは知りたくないもんね。僕の持病には膝関節痛があるけどそれは現時点ではプロフィールに載せるようなものではないかもしれない。痛みは我慢すればいいけど関節がつかえてもう一生正座ができないせいで正しくお焼香できないから厄介。知人の誰もシなないことを願って生きてる。それか膝立ちの中世の騎士みたいなスタイルで哀悼の意を伝える練習でもしとくべきか。全身ヴィヴィアンの指輪みたいなプロテクターつけてて、中身が見えないんだけど実は女兵士っていう展開で。イタロ・カルヴィーノの小説『不在の騎士』はめちゃめちゃいい奴なんだけど中身が空の騎士の話。底抜けに悲しい話だった。民放ドラマくらいだったら安易に性別をひねるんじゃなくて透明人間オチ展開でもかなりいい線いけるんじゃないか。おなじみ相棒シリーズでも、次期の相棒の新相棒は相棒っぽい気配です!ええ?みたいな。そしたらソリマチも安心して趣味のバスフィッシングと人食いドーベルマンの世話に精を出せるしちょうどいいんじゃないかな。

みんなで作ったはずの社会のルールが実は無自覚的にほぼ男が男の都合で作ったものだったという暴露型の議論に最近よく触れる。このような事態を避けたいがために、僕たちは!男の子チームに所属している!金玉野郎です!という自覚を持って玉トーーークを展開することになってしまった結果、場合によっては最近の真っ当な努力とは真逆の方向に向かいかねないというジレンマを抱えているんじゃないか。知らないけど。この問題を考えるヒントになるのは山根会長が男山根と自称していることだろう。ぜんぜん知らないけど。本人が男根とかけてるジョークでもし言ってるんだとしたらほんと最悪だな。亀田トレインに乗ってどっか行ってほしい。ほんとうに何も知らないんだけどな。

 

近年どっと女性作家の翻訳が増えて嬉しい。

ドミニカ出身の作家ジュノ・ディアスのセクハラ告発関係者として気になっていたカルメン・マリア・マチャドの『彼女の体とその他の断片』。題材や着眼点はクィアなものだけど小説の書き方は創作コース出身っぽいめちゃめちゃスクーラーな技法満載で読んでいて安心ああ絶対面白いなってなんじ。このままバリバリ、ディアスのぶんまで活躍してほしい。この人は何書いても面白いと思う。ディアスはクィアらためてね。