こんにゃく妹

地震で寝れなくなった。自室の本棚はベッドの向かいに縦に突っ張り棒を二つ入れて本を壁一面に入れているのでそれが自分のほうに崩れてきそうで布団かぶって震えてた。実際崩れたのは別の棚の横積み本のみ。棚の裏にたくさん落ちたみたいだけどそのブロックの本は未読ゆえ何がなくなったかわからないのが痛い。

 

東北地震のときは運悪く実家にいて、計画停電が頻発して本当にクソだった。東京は一度も停電しなかった。何故…  仕方なく近所のハードオフで電池式のポータブルCDプレーヤー4000円とバカ明るい業界バブル青学野郎として名高いピチカートのベストを150円で買って冷えゆく真っ暗な部屋のなかで2時間きっちりリピートしてやり過ごしたことを思い出す。

もうあんな日には戻りたくないけど、世界はどんどんグリーンの方向に舵を切っている。ベースのエネルギーは自然で賄えない部分は落とすなりするとして、安定性はどうするつもりなんだろう。日常的に停電を繰り返すようならいっそ、将軍様がいたほうがお似合いなんじゃないか。バカ殿が終了した今(志村けんの死はたった数年前インスタにアップした陰茎からは想像できない早急さにゆえに悲劇すぎる。もしかして中高年は澄ました顔してみな勃起してるもんなんだろうか、現段階ですでに自分には自信がない、哀〜ん)、抑止力はもう無くなっただろう。辞職を願うハッシュタグが飛び交う果てに選ばれるのは必ず将軍様的素質を持った人間だと思う。

 

インドネシアの映画、SEXY DURGAが面白かった。

https://mubi.com/films/s-durga

話はすごくシンプルな2つのライン。トランス状態になりボディサスペンションされ吊り下げられたり火を歩いて渡ったり苦行を行う典型的なプリミティブな祭りの記録映像と、それに挟まれる形で北インド出身の片言外国人カップルが何かに怯えながら駅までとヒッチハイクしたヘビメタ仕様のヴァンに載るギャング達のお節介やちょっかいを受けながら苦難の道を進んでいく。このヴァンに飾られてるのがドゥルガーの仏像、えっちな天女。それだけ。何に怯えてるのかも駅に着けるのかもわからないまま、検問にあったり他の悪い奴にに騙されかけたりするだけの90分。なのにめちゃくちゃドキドキする。最終的に、仮装をさせられてヘビメタを爆音でプレイされるという苦行に二人は耐えられず、ヴァンを降りる。この二つの映像の明確なアナロジー多神教信仰の素晴らしさを伝えていると思う。奴らにとって神様はどこかに連れてってくれるそのへんの車みたいなもので、その善悪もわからず、正しい方向へ向かうかもわからない。出来ることといえばトランシーになることだけという、信仰のシンプルさはとても羨ましい。一神教ってめちゃめちゃサディスティックで難しいよな。遠藤周作にとってはオナニーのオカズにはなったんだろうけど。

 

明治維新東京裁判の二段階式解脱で神にも見放されかけている極東民の神学的話題といえば、Juice=Juiceのメンバーが文春砲を食らって即脱退した模様。よりによってスキャンダルが出たら本気汁にしか見えない表記のため仕方ないところはあるが、この仕打ちにアイドルの人権云々を持ち出す輩はアイドルに救われたことが無い奴らだと思う。高野連に眉剃り以外の全てを抑圧されながらプロ球団を自ら選べない高校球児のように、アイドルの後光は処女性(これはデビュー時にヤンキーにも等しく付与される)に裏打ちされてこそファンには敬虔な気持ちが芽生えるというもの、恋愛自由のアイドルでも良いという主張もあるがそもそもそれをアイドルと言えるのか疑問だ。様々なアイドルの形はあれど、つんく♂ファミリーは原理派なので難しいだろう(容姿か異様に近かった辻ちゃん加護ちゃんが同時に選ばれたのは神話的な美しさがある。特に加護ちゃんなんて名前がモロに崇拝対象として適しているのに、堕落してむしろ辻ちゃんのほうが未だにアメブロで啓示を与え続けている。しかも旦那の名前は太陽)。てゆうか、選び抜かれた容姿と知名度を活用して抑圧された気持ちを秘めやかに解き明かす恋愛は当事者としてはさぞ盛り上がるだろう、その点に於いてアイドルとファンの間には唯一の互恵性が存在する。ロマンスで股間をJuice=Juiceにしているのは紛れもないファンとそれが支えるアイドル産業の力。メタ的な魅力に溢れる芸能人作家を押さえて芥川賞を獲って文藝春秋に載った推し燃ゆはそのあたりの話に転がるのかと思ってたのに単にブヒってるだけのヲタ話で一面的でつまらなすぎる。文藝春秋より文春に載った話のほうが今は絶対に面白い。

誌面のスウィートでソウルな二人の姿は、娑婆じゃなかなか見れない尊さだった、恋する気待ちは手放しで素晴らしいです

 

今朝はじめて鏡を見て
気がついたの
あなたに恋してるの
あなたに恋してるの
お目かしして何処へ行くの?
そう、あなたに逢いに行くのよ
ベイビー 街はいつもパレード
ベイビー だからついて行こうよ
世の中にはスウィートや
キャッチーがいっぱいあるよね
抱きしめたい 嬉しくて
ほほ 頬ずりしたくなるでしょ

ほら レヴューが始まる
ほら 遅れないでね
ほら レヴューが始まる
ほら 忘れないでね

デモ小暮アンドナオミよ

リモートが多くなってから、いつでも仕事ができるようになったことは当然のこと、ステイホームときたもんだから、この日は都合が悪いんですという言い訳の効力がゼロでそんなことは言えず、惰性で毎日店が閉まる時間を超えるまで仕事させられる日々。これに反抗する手段といえば始業時間ぴったりに目を覚ますこと、キャッシングした金を株で回して利息の増え方と勝負をすること、池田エライザの流出動画の物真似をしながらタイピングをすること、とにかくスリルを求めてるんだ俺は!感染者数3万人/日級のどきどきが欲しい

 

ラインのサービスはすごい。キャッシングから株の購入まで、ひとつのアプリでシームレスにおこなっていただけます。非線形的なコミュニケーションのツール名がラインというのはおかしいと常々思っていたけど、結局こういうラインだったのかと納得。借りて増やしては返す、借りて減らしたらもっと借りて増やして返す、ということを繰り返して出し子みたいになっちゃったな、キャッシングで借りた金の信用でさらに株買う金も借りれるんだからすごい、信用は積み重ねるものなんだ。LINEでオリンピックしたらいいんじゃないかな、いちばん話が長い人が金メダル

借りた金でせっかく利益出ても税金で2割もってかれて、寺銭でもないのにバカみたいな気持ちになる(証券会社の寺銭は死ぬほど安い)。全然知らなかったけど世の中節税の仕組みがすごいたくさんあって、NISA口座を申し込むと年間100万くらい、その寺銭が無くなる枠がもらえるらしい。ちょこちょこ買ったり売ったりしてたらその枠がすぐなくなるから自分には無縁なんだけど。

恐ろしいのがそれが派生したジュニアNISAという制度があって、子供の名義でも口座をつくって節税できるらしい。これはぞっとする。親からしたら財産分与とか教育費積み立て目的なんだろうけど、子供からしたらクソ漏らしてヨダレ垂らしてるときから株持たされてるってことで、そんな訳分からん俗にまみれた十字架を背負わされたガキは絶対将来呪われて足が腫れると思う。こんな気持ち悪い制度使ってまで金を少しでも多く増やしたり残したりしたいのか、しなければらないのか、制度作る国も使う子持ちも気持ち悪いと思っちゃうな。気味が悪いついでに守護霊NISA、インナーチャイルドNISA、水子NISAなども平等に制度化してほしい。大いに活用させていただきたい

 

現代において子供はセダンカーに近い所有物だと思う。伊藤野枝だったか女アナキストが子供を産まないのが国家に対するテロだって言ってたっけ、いまは子持ちがどっちかっていうとテロリスト集団だ、いまはクルマでテロすんのが主流だからな、テロってペッティングみたいな語感なのに恐ろしい意味を持つこんな変な日本語、もしビンラディンが、あなたしようとしてることは日本語でいうとテロって言うんですよ、って教えられてたら、アメリカにどうこうするなんてアホらしくなってお家でしっぽりテロテロしてたんじゃないか、実は男同士でツインタワーを崩落させあってたりして、どうなんだおい

 

さっきまで仕事だった。学生バイト並にめちゃめちゃ給料が安いのに、かといって誰にも余計なことしたくないから転職もし難い。余計なもの作って売りつけることに関わるくらいなら死んだほうがマシだ、余計なものは買うに限るね、今月バイト頑張ってたくさん入ったし、来月はちょっと贅沢しちゃおうかな、せっかくだから…せっかくだから…

 

 

 

 

リモート日記 極寒編

上がり調子の株式相場、無貯金のまま突っ込んでメキメキ伸びていた資産の価値もひと段落、とというかひと急落、手元に確かに残っているのは11月12月の見たことのない額の光熱費の請求書だった。それだけで生活を窮して今日はみかんを買うのをやめてぽんかんにした。再生エネルギーが注目されているがいくら集まっても所詮太陽光パネルや風車ではままならぬこの寒さ、こんなひもじいことになるなら原発東京湾につくって回しまくってほしい。手前のケツは手前でふこうや、ワシら東京都民は原発新自由主義的心中や!本当の東京アラートはチェレンコフ光なのでその場合は青ということで

 

イレギュラーなことが続き昨日の深夜寝付けず、テレビをつけたら放映中ゾンビのドラマの前回分の再放送をやっていた。タイムリーなあざとさで予告によると次回はショッピングモール編とのこと、悪ふざけもすごい。Netflixに見劣りしました、いや、見劣りしすぎたのかもしれません低予算な日本のドラマは全部ゾンビかヤクザ物になったらまだまだ楽しめるのにね。中条あやみという人がヒロインで、初めてみたけれどすごく不思議な顔で話が頭に入ってこないうちにいつのまにかオッサンになった竹内豊が自衛隊に撃たれた。中条あやみはどことなく片瀬那奈を思い出させる。

 

肛門みたいな名前のジャズミュージシャンによるトランプ支持を表明した1年前のブログが今更取り上げられて叩かれた。その応答として、いやあこれ1年前っスよ、とだけ言って逃げればよかったのにスタンスの維持を改めて表明して対話を求めたのはつくづくケツの穴が大きな奴だと思う。明示してはないけれど彼に通底しているのは1.ロマンチズム(アメリカらしいマインドへの憧憬や反戦を正義と過剰に認めるところ、トランプは結果として中東や東アジアに明確にはちょっかいは出さなかった)2.ポピュリズム(現代的な意味ではなく大衆音楽家としての、彼はニューアカ影響気味の理論武装はするけれどハリボテ感は明示するしスクーラーではない大衆的な美学がある。ヤケクソであっても初めて政治に希望を見出した地域や社会階層があったことは決して無にはならない事実で、僕が子供の頃プロレスラーだったトランプは日本でいうとそのまんま東容疑者やメロリンQの好まれ方に近い)3.ニヒリズム(世論は今や踏み絵のように扱うがトランプは所詮他国の首相なのであって、我々が何らかの態度を表明する直接的な意味手段効果は無い、強いて言うならトランプのファンか否かの問題で、彼はファン)これらを自覚的に説明はしないと思うから、わかってもらえないんだろうけどメディアバッシングは過剰だと思う。生産的じゃないからこの話を考えるのはやめたいしやめてほしい、大阪府知事の目つきはあからさまにバカのものだし、いくらただの一知事であってもあんな顔の奴を選んでる事実のほうがよほど近く深刻な問題だと思う。敢えてバカやりすぎて最後失敗したトランプのほうがまだ見るところはある。ある程度の人相学の復権を願う(血液型占いはゴリラが皆B型と判明した時点で辞めるべきだった、早急に顔占いに移行してほしい)

 

戸川の持っている本は元気が出るものが多く、ハヤカワ文庫の新刊『アレックスと私』が描くのは泣けちゃう実験用ヨウムと異端視された女性研究者との交流と発見の日々。いくつかの不幸のうち結婚については研究者同士で結婚なんかするから良くないんだと思ってしまった(同業者間の結婚は自由恋愛を隠蓑にした極めてアーリア的思想が見られるので禁止したほうがいい、オフィスラブはマジでキモいしコロナのどさくさで条例レベルで禁止になることを願う)のでそこは割り引いたとしても感動した。

コロナっぽいかなと読み進めていた閻 連科『丁庄の夢 中国エイズ村奇談』をやっと読み終える。ゾンビドラマほどではなかったものの、集団的病との向き合い方をねちねちとしたタッチで長綴る救いようのない話だった。読んで損はなかった。小説がうまいかどうかはわからなかったし、すぐ他のも読んでみようと思う。家のどこかにはあるんだよな。出自が人民解放軍の創作チームなだけあり解放感はあった

最近みんなただの気に食わないことや不幸のことを、安易にディストピアと形容しすぎなんじゃないかと不安になり、本来的なディストピアSFでも読もうかなと思ってペレーヴィン『iPhuck10』をだらだら読んでる。たまたま見たあらすじがかっこくて買ったやつ

"性交が禁じられた近未来、アルゴリズム警官に課せられたのはこの世界との対決だった―現代ロシア文学の旗手による最新にして最高の悪夢。ベールイ賞受賞の巨編。"

かっこいい… ベイリーみたいだ。アイファックはiPhone的なVR性具。それを舞台にAI的な自我や芸術のありうべき可能性を問うている、ベイリーみたいな話だった。プログラミングに明るい人の感想が聞きたい

 

ダモ鈴木アダモちゃんを同一人物だと思っていたことが判明。脳の調子が悪いのか

 

黒沢清ブームが止まらない。旧作をイーベイで輸入して見返す日々。

近作、東京ソナタは初見。役所広司はまたしても自我の無い役でしびれる。アンジャッシュ児島もいじめられる先生役でつくづく素晴らしいすれ違い役者だと思う。なんとこれが役者デビュー作らしい。どおりで二度と無い輝きがあった。そういえば彼は過去すげえ下らないドラマでも「オカマ口調の警官」という鬼寒いちょい役を頑張って演じてた、にじみ出る悲しみが深く可愛い人だと思う。渡部の幸運も児島が逃しているところがあるんじゃないか

 

※以下トウキョウソナタのネタバレ有り

 

トウキョウソナタはベタベタな香川照之の失業に端を発する家庭崩壊モノかと思ったららすげえ曲がる曲がる。父権の崩壊から始まって、専業主婦キョン2、汝(ここで1ソナタ)は果たして聖母マリアなのか、マグダラのマリアなのかという話にたどり着く。イエスなのか気違いなのかわからないのはもちろん役所広司、観たらもう二度とジャワカレーが食べらくなるくらいキモい。で、子供がピアノ教室に救いを見出して、家にピアノが無いのにマジの天才であることが発覚、えっちな先生(釈由美子井川遥、区別ついたことなし)のゴリゴリの勧めで音楽学校を受験することになって、みてる途中でもう明らかに、ピアノの試験で家庭がひとつになるラストが伺えるわけ。娯楽映画だしやっぱソナタっていったらベートーベンの8番かな、きっとワンカットでアテフリしてそのまま展開部でエンドロールが始まるんだエモエモなラストなんだろうな……とかわくわくしてたら、

ラストで弾く曲がドビュッシーの月光!!!!!!!!!!!!!!ソナタじゃないしなんでそーなったっていう話、心拍数上がってフナッシーくらいの勢いでめちゃめちゃに動悸がして気持ちが乱れたけどそれ以外ほんとうに良い映画だったな、香川照之ってゴミ人間の芝居うまいな〜東大出なのにね

 

 

 

 

 

リモート日記 第二章

これまでは別に派手に遊ばなきゃどーってことなかったのかもしれない。もっと派手に遊んどきゃよかったよ、これから本当の恐怖が始まるんだ…

 

たくさん本を買い込んで年末を迎えたものの、いざ時間ができるとくだらない本から読んでしまう。アランナ・コリン『あなたの体は9割が細菌』はミクロなサイケフィーリングを得ることができた。人間は自分の細胞の10倍くらいの細菌と共生してるっていう、いるかいないかわからんウィルス以上に気にするべきは腸内細菌のバランスだったってはなしだ。お腹弱い奴特有のいけ好かない性格、あれは細菌にマインドコントロールされているに違いない。殺意をもったメイドが給仕する食生活によって腸内細菌の偏りを作られた元善良な男が密室殺人を犯す、という話は5年後あたりコナンの脚本になると思う。自分も試しに性格を変えてみたくてカルピスが開発した乳酸菌タブレットを飲み始めることに。そんで急に女を殴る奴になったりしてな、おお怖

 

細胞小器官のミトコンドリアは別の生き物だったっていう気持ち悪い話を角川ホラーの原作かなんかで読んだ日には不気味さで寝れなかった。パラサイトイヴからせんだったかもしれない。90年代の日本のホラーは今振り返ってみれば、映画文法を豊かに駆使していて低予算映画や前衛映画の楽しみ方を前もって教えてくれていた気がする。原作の小説もかなりしっかりしてた。

で、黒沢清に最近ハマっている。00年あたりのを観ているけれど、本当に面白いし子供の頃は全然真剣に見れてなかったことを痛感する。『カリスマ』がすごい。道徳の絵本チックに自由論、国家論、戦争論をクソ田舎の狂人達が体現しつつ、クソ田舎すぎて誰しもがヨソモノで外に出たい欲求がその道徳のシーソーを崩して変なことにしちゃっているっつう、黒沢清の映画に出てくる役所広司の大半が自我が無くて素晴らしい、おれは主人公に自我が無い映画がみたいんだ、90年代の角川松竹のノワールは世界の最先端をいってたんじゃないか、もう金が余りすぎて二流監督にそれなりの金が降ってきて大変だったんだろう。黒い家いいよな〜すっごく怖いんだけど終わりの歌m-floだからね、ずっこけますわ!流行歌は罪ですね、ビリーアイリッシュなんかも20年たったらどうなるかわかりませんよ ダ…

10年代は黒沢清役所広司もあまり観る気がせず(役所広司は顔を見ただけでカレーのことを思い出すから面倒)だったんだけど、数年前、散歩する侵略者って公開タイトルみたときに、ああまだ変な人なんだ、と思って安心した。助走をつけたいまこそ観るべき時かもしれない。

今見ると時代遅れのアテレコもまたしびれるんだよな。遠くでぼそぼそ言ってるシーンなのにめちゃんこ吐息で音割れてたりして。

 

読まず嫌いのカフカ多和田葉子の選集(集英社文庫、800ページくらいある)が出ているのを知りとうとう買った。多和田葉子はドイツ語も達者でマブい。絶対に、絶対に多和田葉子村上春樹より偉い。毎年ノーベル賞の発表の際に本屋に集まる薄ら寒い連中に対して蛍光色で多和田葉子って書いてあるウチワを振りながら叫んでやりたい。「心にぐっとくるようなこと書いてくれる葉子ちゃん」。カフカでもなんでも読めるぜ!あと公文書選集が載っているのが良い。文体のリズムがなんとなく伝わるような、「採掘場による事故防止」、100年を隔てた今決して有益ではないが非常に勉強になった。しかし変身は可愛そうな話だな、なんでこんなこと書くんだろ。介護問題を予見している。体液が出たり止まったりする話はどんなんでも怖い。ずるです

リモート日記 0点外出編

夏に書きかけたブログあった。冷汁食べたい

 

米米

久々に映画館。蜘蛛女のキスを観た。カマと過激派が刑務所でだらだら映画の話をするラテンアメリカ文学の映画化。原作は9割映画の話、昔みたナチ賞賛映画を政治に無頓着なミーハーなおかまちゃんが(同性愛者て意味じゃなくて、いわゆるおかまちゃん)おぼろげなあらすじを政治犯に語るっていうプイグのスーパーカルト小説。立場を異にした二人の気持ちがみるみる感染するっていう名画座の休業明け第一弾の映画にふさわしい粋なチョイス。っていうかそんなのどうでもいいくらい現代的な以下の潔癖さに驚いた。

まず構造は極度にシンメトリーなのが小説同様に美しい。釣り合いがとれた出来事が互いに起き続ける。で、舞台はアルゼンチンなのに二人だけ色白で英語を話すからセリフも街も浮いているんだけど、おかまちゃんと政治犯だから問題ない。昔観たというナチ映画のシーンは安い演技で回想されて相席食堂スタイルで二人の解説ツッコミを挟みつつ展開されその悪質さが塀の外の記憶から2人が遠くにいることを示してる。低予算かつ死角なし、2020年においても娯楽映画として非常に素晴らしく見るに耐える。で、いちばんすごいのは、映画のなかで追想させている映画が、映画らしくなる瞬間に何が起きるかっていうところなんだけど、それはラスト、もう大変なことが起こる、何がって我々が映画の感動に耐性ができていることを見越した感動を計算して綺麗に与えていて、もう美しすぎる。どの瞬間に誰かトイレにいってスクリーンが白んでも構わないっていう強度。

 

今日は30度を超えたらしい。冷汁のこつがわかった。冷汁は何かが香ばしければ構わない。焼き魚は面倒なので水煮缶をつかったけれどその分しっかり味噌を焦がした。味噌を焦がすのも面倒だから次からはゴマを深めに空煎りすれば、きっとそれも美味しく食べれると思う。あつひやのものってうまいな〜20世期のうちはけっこうデブでヨーカドーの地下のバターコーンラーメンが好きだった。バターは序盤で塊のうちに食うと冷たい油が口内にへばりついて食欲が開き麺をいっき食いする!そりゃデブるわな

米米

 

蜘蛛女のキスは2020年ベストだったかもしれない。宮崎大祐監督の夜が終わる場所が次点、

いやいやまだ映画みまくんで〜

惜しマイケル

仕事がキツいだけで世界はこんなにも灰色になるのか、積年の郵便局員への憧れは郵政民営化と共に崩れ去った、フォーエバーラブ内閣のせいでね…安倍内閣ってアホすぎて愛称つかなかったよね、それだけ安倍の存在とアイコンとしての情報量はデカい。ゲス不倫の流れでマッチのは愚か者不倫と称されることになってしまい滅茶苦茶面白い。ギンギラギンに5年さりげなく不倫のほうがいいと思うけど長いし。芸人は自分が不倫する前提でいろいろ名付けをしたほうがいいと思う。マッチはレーシングカーで報道陣を撒くか金屏風の前で中森明菜(オーノーオーイエスという曲は最近知ったんだけど、プラスチックラブを凌いで韓国で(訪れたソウルのクラブでは10曲に9曲がMUROという瞬間がありぶちあがった、けれど韓国は結構ストイックだと思う。フランクフルトの期待して行った外見が名古屋ドームに似てて超かっこいい某大箱は衝撃的なことにメインでレディガガがかかってて、自分がだらだらしてた端のがらがらのハードハウスのフロアは何故かスポンジで出来ててそこのマジョリティの様々な理由で子供っぽい人たち(家族はメインにいる)は規則的なキックにあわせてピョンピョン飛んで遊んでた。俺もいっしょにスポンジの上を飛びまくった、その日は一度ビーサンで行ったらバウンサーに追い返されてH&Mのスニーカー買って履いて入ったんだから)シティポップのアンセムになりうる竹内まりや提供曲だと思ったhttps://youtu.be/sOJ7GvDnLJw)といっしょに謝罪会見するかしてほしい。それか近藤エロ彦に改名してみんなからエッチって呼ばれてくれ

 

煩悩にまみれた人間がゲスの極み乙女、というバンド名を自ら名乗るような身も蓋もない神経は現代的で、自分の同世代やその下の特有のものと感じる唯一の類の強烈な嫌悪。髭ダンディズムは真っ当に髭を生やすかとにかくドブスの集団じゃなければ公認できない!!恥ずかしい!あとそのバリエーションとして、表裏を返すだけで元の意味を台無しにするセンス。少女ナイフというアカウントがそこそこバズり続けてんのみたときはゲロが出そうになった。東大王もヤバい。安倍晋三王とか、言えるか??

 

カセットで宅録してるけどなんだかよくわからないな、これであってますか、ってかんじ、たぶんあってない。別々に何回も録るってことが許せないことに根本の問題がある気がする。あんまりダビングするジャンルの音楽きかないんだよね、サンラとか実はめちゃめちゃ重ねたりしてそうだけど、テープ切り貼り時代の編集はまたそれで違うよさがあるな。けど自分がまし自分じゃなくて自分みたいな宅録してたらきっとウケると思う、ハハハって笑って屁をこいて忘れるくらいの。自分の気持ちの一部も分離して分子みたいな動きでどこかで彷徨ってるかもしれないし、やってみよ。

リメイクの高校教師でギチギチに体にシーツを巻き付けた(日本のドラマがやたら推奨する事後緊縛プレイの謎に誰か迫ってくれ)上戸彩のわきで数学の先生の藤木直人が死後分子になって宇宙で巡り合う確率を計算するというのがありましたね。何パーだか忘れたけどまあまああるってことで緊縛状態の上戸彩は感動するんだけどさ、それよりウンコの分子が早速下水管でたくさんぶつかってると思うんだよな、そっちのほうが感動する。潔癖症の人意外は何気なく使ってるけど同じトイレを使うっていうのは素晴らしい。バブルがあと10年続いたら絶対に皆に固有のトイレ権が認められただろうもしくは使い捨てトイレとか?

 

そう身も蓋もなさといえば、

群像の巻頭だった乗代雄介『旅する練習』を読む。若い作家のようでフォーマットが独特な印象だったけど今回も作家の主人公とスポ根の姪が東京から長距離歩いて目的地を目指しながら道中で自分は風景描写を姪はリフティングをするという地の文と二字下げが逆になっている紀行文という感じの変わったスタイル。しかしハイライトは「自分の関心に世界を引きつければ面白い」という姪の気づきで、この瞬間に風景描写が絶対に回収されないただの練習だ(純文学の入りは風景からでそこから幾重かの意味レイヤーが緩く繋がりをもったまま人物にフォーカスしていくというのが今も惰性で続いている※省略可 のお約束、しかしこの小説では練習として個々の独立した詳細な風景が投げつけられ続けていて読み手をパンクさせている!)と思って覚めてしまって案の定予感は的中、読者はその練習に付き合わされているだけで、それらのパートは斜め読みで構わない。それでも損なわれないこの小説の魅力はあるけれど、読後感としてはこれは物語をドライブさせる苦労や超不幸な出来事も含めて絶対に全て作者の現実の話であってほしい、ということ。むしろ現実と強制的に信じさせるリアリティが非常に出ている点で食わせ者なのかもしれない。でないと練習につきあった甲斐がない。

小説らしいものが読みたくなって戸川に薦められたデニス・ジョンソン『海の乙女の惜しみなさ』(海とか乙女とか、こういうタイトルだと自分は絶対買わないから、なおさら薦めてくれた戸川はいいやつ。身銭を切るときにこそ貧乏人は無意識な偏見が出る)のなかから「ドッペルゲンガーポルターガイスト」を読んだ。才ある詩人のエルビスに纏わる陰謀論への統合失調気味の熱意が詩作の情熱と絡み合い主人公の教師が双方に惹かれていくという、ものすごく上手な話だった(統合失調に至る人間を何人か見てきたけれど、クリエイティビティはその過程で最も発揮される。ひどくなると日常は詩や小説のようになるのに創作は不思議なほどできない。彼らの詩は詩的ではないと春日武彦も指摘していたと思う)。はっとするのは、統合失調気味の意味の連鎖こそが小説の妙だということ。実験的な試みがいくらなされようと、偶然を必然として説得させられるという快楽はフィクションにおいては最も麻薬的な手法であることには今後も変わらないだろうな

リモート日記 オブジョイトイ

ライブの準備をせな、ライブの準備をせな、と思いつつ、私はアイルトンセナと化して本屋へと疾った!ハンナ・アレント『政治の約束』を読み始める。やはりかっこいい。古本屋で草稿集を立ち読みしてからというもの、好きになった。緩急の織り交ぜ方は自分自身のために論じているようなところもありつつ対象は多様な人たちに開かれているように思える。多様な意見が響き合う公共空間を尊重する姿勢は大統領選の最中にある今まさに必要とされる態度だと思う。トランプはものすごいバカなのは自明だけれど、だからこそ良くて、だからこそよくない。ちびちび便所で読み進めたいが、さっそく表紙がびりびりになった。ちくま文庫の表紙は薄すぎる

 

近所の本屋は岩波文庫の棚がスカスカになり始めてつぶれそうだ。なんとかなってほしい。町の本屋にしてはハードカバーの品ぞろえはいいし、トランスビュー取次の本が多くて面白いからなくならないでほしい。

 

mubiではマンブルコア界隈を固めて見た。今ではあまり言及されないジャンルだけれど、普遍的な魅力があると思う。数万円のハンディカムで撮ってしまう、主題が荒くてメタ的な、半ば素人の演技しきれていない輝きは美しい瞬間にあふれすぎている。グレタ・カーウィグは本当にかわいい。彼女はスターになってしまったけれど、ジョー・スワンバーグはこのリアリテイの沼から一生抜け出せないんじゃないか。

 

仕事で遅くなる日々が続いて今日はおでん屋に行ったらすごく酔っ払った。数年ぶりに立ち寄ったおでん屋はばーちゃんが一人で接客していていくら食べても冷酒と大びんと合わせたら相変わらずだいたい3000円。本当に食いまくったのに。

 

余暇の時間が限られているうえ仕事の前後は最悪な気分になるので、だいたいの幸福度の見通しがつく。今週はこれくらい新しい本が読めて、これくらいゆっくりできて、これくらい楽しくなるだろうな、楽器で遊ぶとしたらこれくらいの時間で、友達とはまた今週も遊べない、そもそも友達いたっけな、という感じで、平和すぎてウケる。コントロールできないのは酒を飲むときくらいだ。酒の魅力はちょっと一杯のつもりで飲んでいつのまにやら…というところに尽きる。今日は客のババアに声が日テレのアナウンサーにそっくりと言われひとしきり盛り上がった。コロナと落語の話。酒を飲んだら予想していない気分になれるし、思ってもいない話ができる。唯一赦された旅行みたい。一方職場の近くの喫茶店の夜セットはなみなみと注がれたワイン、パスタ、チーズ、カルパス、コーヒーで千円で約束されたキマり方になる、意識が3センチ沈んですごく冷静になれて8時の閉店まで微動だにできないことが約束されるんだ

 

毎日の意味がなくてさして楽しくなくてもそれは悲しいことではない。楽しいことへの強迫観念は現代の病だと思う。罪を償うべきはキリストらではなくて、極東の我々自身なのだから堂々としていればよし