ゲームセンターじらし

寿司が回転し続ける空間においてひとは正気を保てるものなのか、ストリートキッズ版アイヒマン裁判の火蓋は切って落とされた。おれはかねてから、中古で家電を買うときにはチンコとウンコのことしか考えてこなかった。古本、チン毛しおり上等。中古シンセ、チンコで弾いてるかも、これならばウクライナの指揮官並みに勇み買う。炊飯器、ウンコ炊いてるかも、これはなし。みたいな。疑心暗鬼になったらきりがないけれどみんなどこかで線引きをしてうまくやっている。そんななかで過剰に報道するのはどうかと気の毒にはなる。あの動画をみて、なんとなく、荒野行動ってこういうことか、という知見だけは得た。けれどこれを機会にカウンター寿司の魅力を再確認することになったことはとても良かったことだ。立ち食いであればスシローとさほど値段も変わらずに素敵な大将が昨晩シコってから風呂入って綺麗になった手で自分のために握ってくれた寿司を提供してくれるはずだ。いなりもにぎってる。

この騒動は裏を返せば回転寿司という営業形態に一定の期待と信用が形成されたということでもあり、ちょっと前ならなにかとひどい店もあったわけでマナーも千差万別というのがローカルな姿だったと思う、それが競争でうまく淘汰された挙句、今回のビジネスモデルの根幹を揺るがす事態なんである。向かうべき方向はふたつしかない。いまよりもフランチャイズがちがちな衛生管理が進んでつまらなくなった分を過剰なオート化などで補っていくか(客の身体を五点拘束してレールから寿司が直で注ぎ込みつつワサビの代用で鼻フックで清涼感を与えるとか)、客同士を牽制させあって一定の秩序を生み出すかだ。後者につながるのは通報の積み重ねでは決してないはずで、たぶんファンダム的なものだ、例えば誰もしょうゆをペロペロしないまま累計1万皿達成できました、的ないやそれはつまんないか、持ち込み料払ってマイボトルをペロペロしながら寿司をつまむってのがオツかもね、徴兵も回避できるしな。いぇい

 

しかしハメをしっかり外し続けるという人間は一定数おりその存在群は社会善であると思う。コロナでそのへんの連中が叩かれやすくなっていることを憂う。探検家という職業が過去のものなんですよ、というのが村上龍13歳のハローワークの冒頭だったし職業教育の初歩としては申し分のない導入なんだろうが探検家というのはなかなかしぶとい。高橋大輔『漂流の島』はロビンソンクルーソーのモデルが過ごした住居を探し当てるために脱サラした探検家が今度はジョン万次郎らが漂着したアホウドリが住まう島になんとか向かい痕跡みつけるというノンフィクション。こういう執念深いアホがいるということは大事なことだと思う。なかなか読ませる展開だった。

 

明日はライブ、前売りで埋まったらしくそういうぎゅうぎゅうな雰囲気で演奏するバンドではないだろうと思いつつ、なかなか楽しみだ、とはいえ自分はとても前売りを買って計画を立てるというタチではないので、なかなか酷なことだとは思う、常に私語とドリンクオーダーを推奨するライブを今年は企画してみたい(スピったコルトレーンは曲が終えられず延々と演奏し続けドリンクオーダーが入らなかったからハコの人がブチ切れたらしい、んでそのあと楽屋に戻っても吹いてたってすごいよね)。ちょっとしか人が来なくてもそれならペイだろう、パブロックってそういうことなのかどうか

 

国分寺ペイペイの還元率が高くアツい。とても好きなスポットが点在している割に駅前がクソ閑散としているのもよろしい