リモート日記 ミーハーこゝろ編

相撲取りと水泳選手の素行は問題にしていいかどうか。常に半裸で競技に打ち込む姿を見せてお金をもらっている意味が分からない。トリッキーな乞食だと思う。心の準備もできていないのに不意打ちでCM等で姿を見せつけられるくらいなら、不倫を暴露されてたほうがマシ、半裸真剣マシンじゃなくて人の心があったのかと胸がすくくらいだ。野球はいいよな、しょせん玉遊び、という弛緩した瞬間がありつつも連綿とした人間ドラマを見せてくれる、眉毛の処理の仕方とプレースタイルとの一貫性をみるのもおもしろい…

 

新宿の紀伊国屋で暇したら何するか、最近は「町田康絶賛」の文字をいくつ見つけられるか数えることにしてる。遊びにつられて3のつく数の時だけ絶賛しちゃう世界のマチダコも絶賛の宇佐見りん『推し、燃ゆ』を購入。タイトルと相反する(紗倉まなもだけどこの手法流行っているのか…やっぱお侍ちゃん売れたんだきっと)ベタベタな口語で織りなされるのは、これまでに消費つくされたアイドルを失う哀しみ。アイドル文学は飯田圭織の七夕バスツアー実況スレをもって完成されたことは自明であるにも関わらず!

762 名前:名無し募集中。。。投稿日:2007/07/07(土) 10:55:58.49 0
夜短冊を飾ってたらガイドが「七夕は一年に一度織姫様と彦星が会える日なんです」とかいってさ、ファンの皆さんも飯田さんに会えて良かったですね、なんて言うんだよ

そしたら誰かが急にちいさいこえで「彦星様見つかってよかったねカオリン」なんて言ってみんながざわざわしてから口々におめでとうを言い始めた
俺はそんなこと言えるわけないから下向いて唾飲んでたんだ

どんなバカヤロウがそんな偽善ぬかしてるのかと隣みたらさ
おめでとうとかいってるオッサンがみんな泣いてた
俺も泣いた

どれだけ「私」の体調が悪かろうが、天気に情景を重ねようが、こんな美しい現実に勝てるわけがない(モーニングコーヒーでは巨木っぽかった飯田圭織はサマーナイトタウンの頃から急に可愛くなった。大林素子のようなオーラをまとう素敵な女性だと思う。永野はずっと大林素子のモノマネをし続けている。大味で勘が鈍いけど彼からはノアの箱舟に芸人としてたった一人乗り込みたいという終末的気概が感じられて好きだ)。読んでて無性にカオリンのことを再び好きになるくらいだった。でもこの小説は結構読まれてるっぽい。本屋では平積みだし友人と本の話をしてもそこそこ人気だ。全町田康も泣いている。なぜうけるのか、理由を考えてみました!

1.飯田圭織バスツアーの件を知らない

2.飯田圭織バスツアーの件を知っているが、宇佐見りんのパーソナリティに魅力があり、著作を通じて理解を深めることを興味深く感じている

このいずれかだと思う。後から知ったけど作者が若干20歳の大学生で、容姿もメディアに露出していた。読む前に知っていたらもっと面白かったかもしれないな。絶賛されてるからってぼーっと読んでたらチダコちゃんに叱られます… 小説たるギミックと、ものすごく自分寄りのワードセンスがメリハリ良く混在しているし、めちゃくちゃ真面目な奴なんだなというのは近影を見たから思うわけで

 

ある程度のゴシップや著者のプライバシーが漏れてくるのを私たちは期待するのが自然なんだろう。日常の退屈を吹っ飛ばしてくれと本に適当に縋るこちらの態度が悪かった。いいも悪いも30の男にどう思われようが、良いもの食ってそうな女子大生にとってはどうでもいいことだと思う。でもこっちは切実なんだよ。助けて

 

やっと『ヘヴィ・トリップ/俺たち崖っぷち北欧メタル!』を観た。すごすぎる。自分の中のマーティフリードマンがメチャカコイイジャ~ン、パヒュームモイイヨネ、デモヤッパベイビーメトゥルサイコー、とさけびました。フィンランドの田舎町の地下室でようやく作ったオリジナル1曲だけを携えて偶然の伝説を積み上げながらメタルフェスに挑む。音楽映画の主要曲が1曲だけで寂しくなりがちという問題を回避しえているし、サクセスストーリーも無理がなく冷めない。皆のミーハー心で話が進むのがキモだから。女にもてるのも人がつくのも離れていくのも伝説になれるのもミーハー心で説明されてしまう潔さ。めちゃめちゃ感動するぞ。北欧の人はやたら小道具とかいちいち統一感ある、イケアを支えるセンスを感じ涙

 

タバコが値上がりした。幅はあるけれどタバコを吸い続ける人間は大概バカなんだから、バカへの福祉の一環で税金は安く抑えるべきだと皆で声をあげるべきだ。バカはかわいそうだろう。ファミチキがどんどん不味くなると同時に値上がりしてったらどんな気分になるのか、バカじゃないみんなは考えたことある?