高橋日々是清

茶店の治安が危ない。酒が入ってても入ってなくても関係ないくらいラウドな20前後の若者の集団利用が夕方以降目立つ由々しき事態。関西弁は特に煩い。さくら水産がもしかして禁煙になったのか、せんべろの次はべろごひゃく(べろべろになった状態で喫茶店に入って騒ぐ)という形態に移行しつつあるかもしれない。こうなればいっそぜろべろ(常にべろべろで家から出ない)の境地まで一気に駆け抜けていってほしい。ていうか全員くたばれよ

 

旅行もろくにできず、人とも会う気も起きず気が滅入り書籍爆買いの日々、キャッシングして本買ってるのはカウンセリング受けたほうがいいのかもしれない。残業代に生活費を依存しているので手取りがわからないのも原因なんだよな。

くすぶる旅行欲を察知してか、イタロ・カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』が新刊でもないのにマークシティ地下の本屋で平積みになっていた。心意気を買って購入。いろんな話の冒頭部分を読まされながら掻き立てられた読書欲がカルヴィーノの語りに導かれて作者と読者の関係、偽作の問題、作家心理、読書論に向けられていく。旅っぽくはなかったけれど、悪趣味に真面目なハウツー本というかんじ。何年かに一度読みたくなるかもしらん

 

映画みた。テネットは面白かったけど公開が終わったら忘られるしっかり映画だと思う。細かいことだけど、どう考えても逆行銃の仕組みに矛盾がある気がしてならないんだよな…インセプションみたいに生理現象をハックして拡張していくかんじでもなかったし。でも低音がすごかった。めちゃめちゃ家のmoog触りたくなったな。クリストファーノーランは必ずノワーンって低い音でシンセ使うから好きだ!あれはもうチェロコントラバスじゃダメなんだよ!ノワーン

もうよくわからなく低いパルスをバックに歌うしかないんじゃないかなと思う。スタジオいったりライブしない限りそんな低音聴こえてこないんだけどさ。

 

はしごで行き止まりの世界ってドキュメンタリーを観た。監督を含め全員、家庭内暴力の被害者という共通項のあるスケボー友達の15年くらいを追うんだけど、日常を引きずったトリックに感動しつつも構成に驚き腹が立った。序盤はみんなプーでファックとか言いながらふざけまくんだけど、だんだん人生が沈んできて、うちひとりは酒飲んで暴力をふるいだす連鎖が起きてんのに皆自己責任論を唱え出す、うえに監督がなんで抜け出せたかという示唆もなく、たな漠然と絶対的な成功者としてかつての友人にカメラを向け続ける、なにより酷いのが、監督の顔がダイアンの2人を足して2で割ったかんじ。とにかく顔が好かん。ラストベルトのどうしようもない空気は伝わってくるけど、監督は鬼畜だと思うな、せめて板くらい買ってやれよと思う。そういう残酷な格差を隠してひたすらいっしょにスケボーするクールさはあったが

 

茶店に行って映画見てたらなくなるくらいの金しかないし、スケボーするしかないかもしれない。似たような育ちゆえ勝手に兄貴だと思ってるてっちゃんに久々に会ったら急にスケボーを始めてて必死にトリックきめててウケた。ベアリング変えてまた滑ろうかと思う。板が腐ってないといいけどコケ生えてたらおもろいな。骨折したときに靭帯がもうダメかもと言われたけど、なんとかいけてるっぽい。プッシュするだけで膝がぐらぐらしてひやひやするし楽しいかも。いっぽう膝の関節が硬くなったからかボーリングのスコアは30くらいあがった。引くくらい同じところにいく。山本昌は身体が人より硬いから長いこと現役を続けられたらしいっす。こんなかんじか、という境地