小林製薬のバイバイブラックマンコ

GHQによって巨人軍と自民党がプッシュされたのもよもや息切れといったところでニューオータニは久々に見たらなんか特大にしゃくれてねえか、ちゃんと飯食ってるか?んなことより保険料率は上がるしジジイとババアが大量すぎんだよな、死に得は許さねえ、報いの低出生率砲をくらえバババババ!てなもんで政治の根本が産めよ増やせよということであることは仕方ないのでそのへんはQちゃんも譲らなければならない一線なんではないかと思いつつ、小出監督村西とおるっぽかったなと思いつつ、教育に金まわんないからそりゃ産業はガタガタなんだけどバブル崩壊(ばぶほ〜)のトラウマで株主無視の蓄蔵資本家による底PBRだらけになっていた、今年はとりあえずPBRが0.2で自己資本比率が70%の株を握りしめていればもろびとこぞりて良いことがあるはずだ金が落ちてるようなもんだと思いいまは辛抱強く耐えるべきだ(私の推しはTBS、リョービ、ミロク、ネツレン、オハラ、日本株総合格闘技のようなギャンブルだなと最近つくづく思うのであって製造業は強いんですと桜庭和志っぽい口調で念仏を唱えながら信用買いをしておりま)、ガバナンスコードだとか買収対策だとかよくわからん理由でこれから吐き出される内部留保は戦争ボーナスの最後っ屁だ、ド派手にかましきったくらいで米不況の紙風邪に晒されてきっと我々は何の長所もない裸の黄猿軍団であることがわかるしそうなったらもう靖国TikTokするしかねえだろ、バックドアから覗いてほちいのねん

 

『踏切と幽霊』…いまどき正統派幽霊譚でベストセラーなんてすごいし硬派なジャケが気になりつづけていたがとうとう読んだ。素晴らしいというかやっぱJホラーフォーエバーってかんじのネチっぽさ。90年代という設定が利きまくり週刊誌記者が政治と裏社会とオカルトをゴシップで繋いでいくストレートなサスペンス。序盤の変に説明しすぎで恥ずかしい凡庸な文体さえ我慢して慣れればあとはバーっといく、心霊描写の中立性はとても潔癖で教科書にのってもおかしくないだろう、聖教新聞の広告でもいいんだけどさ

『トマトソースは燃えているか』…NYにギャング博物館というところがあって実際に現役の方々と親交もあった二代目館長へのインタビューをもとにした雑誌連載まとめた本。言語学バーリトゥードの著者がすすめていたので買ったんだと思う。料理の話が面白い。こういうとりとめのない連載みたいなのはやっぱ生情報に限るな、つくづくWikipediaを紡いだ落書きのことを思い出し腹が立つ。読ませるエピソードというのはやっぱりその御仁に対する愛着ありきだと思うし、又聞きというのもどんなルートで聞いたかという枕があればまた良いものだ。

 

ウンベルトエーコ言語学1・2が神保町のエサ箱に落ちていたので落語家の猥談集とともにゲット。エーコのは先行研究の解説本かと思ってノータッチだったが病みかけたブロガーみたいな歪んだ畏まり方をしており意外だったから出会えてよかったと思う。というか深堀骨の『腿太郎伝説』をいま読んでいるので日常おもしろ感覚が顛倒している。戸川はよく即興で歌をつくるが最近の打率は高い。最高傑作はコンビニ帰りに歌っていた「酸っぱいぶどう!酸っぱいぶどう!」というものであれは腰抜かしかけてそのあと肩こりがひどくなった、ポリネシアの人たちは肩こりを守護霊で説明することがあればいいなと思う

ピロリ京介

生きていればいいことはあるというが好きな映画が名画座でかかったり、絶版本の値段が落ち着いてきたりしたときにそれをとみに感じるもので、まんだらけミリオン出版の心霊大全を格安でゲット、付録に心霊音声が再生できるCD-ROMがついているがうちの再生機は壊れていたんだったこれは怪異ですか

 

最近仕事が辛くライトな本ばかり読んでいる

後藤護『黒人音楽全史』…際立った黒人何人かのアンソロジー、著者は精神機関史という気合いの入ったジンを出していたりポパイで連載していたりTwitterでは気合いで洋書を読んでいてイケてる知識人かと思ったがこの本はひどい、前書きで音楽には立ち入らない旨方針立てており嫌な予感はしていたが、バリバリWikipediaトリビアのエディットだった、というか各論はほとんど入手容易なネタ本によるもので各人を通底する黒人とは何者かというイメージについては読者に委ねられる。彼がどのような簡単で人物をチョイスして、どのような星座を結ぼうとしていたかというのは一切明かされない。理論分析までは立ち入らなくとも、ミュージシャンの表象に踏み込むならば演奏や録音テクノロジーは明らかにアティチュードの一部や個性の偏差のはずなのに、それらがほとんどないので片手落ちのまま各章独立したエッセイを読まされる、これはだめだ

安田理央『日本AV全史』…川奈まり子的なオバハンかと思ったら男性だった。彼の本はけっこう気になってけっこう買っていたものの通読は初めてだったがけっこう良い。AV新法までの流れをコンパクトに理解することができるし、雑誌などから各時代のエポックな波をうまく拾っている、いい本だった。最近ぜんぜんみてないからSODはバカなAVを続けてるもんだと思ったらそんなことなかった。いまのモードはエスカレートするど素人シリーズが作ったんだろう。トージローが元気なのは日本の宝だ、彼は蝶野とめっちゃカブるし、武藤敬司が引退際に急遽一戦交えたところをみてなおさらそう思った、これからもがんばれ

瀬川拓郎『アイヌと縄文』…これは面白い。アイヌ研究者の本なんだけどスコープは北海道やアイヌ縄文文化の近しさにとどまらず、弥生文化が起こってから縄文の人たちの暮らしや文化がどのように残って共生したのかということがちょっと言語的な例証多めで辛いがわかる良書。カムイ伝読んでないからわかんないけどアイヌから日本史を捉え直すという試みはいまどきで面白いアプローチなんじゃないかな

 

新文芸坐でダブ映画バビロンを観た。UKレゲエシーンもファッション(コーデュロイ使いにビビる)も忖度なしのリアルで主演も音楽もアスワド。サウンドシステムバトルに向けてクルーが仕事やらビートの調達やらして、というストレートだけどリアルな生活を伝えるあったかい映画だった。自分はレゲエ興味ないなと思っていたが急に思い出したのはけっこうアスワドとリーペリーのCDを実家に持っている、というのも、15歳くらいに深夜ラジオにハマったとき、夜明け前の東京FMがかなりアツかったからだ、もっとも熱心にFMをハシゴしていたのは土曜の夜で、深夜2時からみうらじゅんと安西肇のクソしょうもない番組を聴き(FMなのに下ネタなんでだろうとかセクシーどどいつを長時間コーナーする)、そのあと誰かの地味なレゲエ、あんちゃんのメタル番組、新興宗教の各30分の番組を聴いたら夜が開けてひととおり外見てから寝る、というあれは最高な週末だった。世の中いろんなものがあって、自分は何にハマるんだろうかとわくわくしたもんだが

今は爆笑問題カーボーイしかチェックしていない。これは番組としては停滞しているんだけど、最近になりネタ合わせに関するグチが多くそれがなにより面白い。物分かりの悪い田中にいまさらなダメ出しをする太田と田中の狂人的な言い訳は可愛いやりとりだし、バンドで練習しているときのモヤモヤを解消してくれる快いものでもある

ラジオみたいな受動的な文化はなかなか良いものだし話もプレイリストも消えてしまうからお勉強的になりすぎず、貴重なものだと思う。U-NEXTがradikoを吸収して昔のオールナイト聴けるようになんないかな。電気のオールナイトを聴いてみたい気もするが、従順なファンが痛そうで幻滅しそうでなかなか聴けていない

 

仲の良い友達が海外に移住するらしく日本最後の夜に痛飲、とはいえ大した話もせず、フィッシュマンズが地元に来た時に盗聴したライブテープを世界の民族音楽で上書きした、という話しか覚えていない。日本に幻滅してもついでにおれには幻滅しないでほしい、いつまでも変わらずにいるからな、ピグミー族最高!

 

その男ヌーヴォーにつき

若い頃の相川翔主演のVシネは結構面白い。黒沢清が撮ったシリーズはさることながら、べたべたなヤクザものでも居酒屋で夕方にかかったりしてると結構見れてしまう。ストーリーやアクションの陳腐さを一切取り払ってしまう雰囲気が相川翔にはある。案外演技に癖がなく、どんな役でもこなすし普通にスゴみがないのになんでノワールばっかり出ているのか不思議なんだけど、とにかく声が変なのがいい。どんなめちゃくちゃな場面でも声が変だからアリになってしまう。マンネリVシネで肝要なのは主要キャラがみな最後のほうまで死んではいけないところで、相川翔は弾が当たらない銃撃戦がとても似合う。おそらく本人私物なんだろうリムの太いメガネもコステロっぽく似合ってる、普通に虜になってしまった。デビュー作の鉄砲玉ぴゅ〜から既に完成されていた愛らしい小物感、そいや有吉にクソ似てる

それに比べて白竜はマジで怖い。現場がヌルすぎて演技を放棄するんじゃないか、というメタ的な恐れを抱かせられるくらい醸し出すものがありすぎる。前の職場にぜんぜん仕事もしなければ無駄話で調整役を買うわけでもない超人的にシャイな別の島の上司がいたんだけど、その人は顔が白竜にそっくりだったせいで私は心底彼を恐れており給湯室で彼の陰口が展開された際にも無駄に肩を持ったりしてしまっていたほどだった

 

ライブ中にローランドのシンセが壊れて最後の2曲は生ピアノに変えて大変だった。軽いしフィルターの再現度がかなり再現度が高いから、ライブにはいいだろうとはじめてちゃんとしたデジタル機材を買ったのに、1年くらいでバテるのは甘利にも終わってる。パネル部がガチガチに金属なのに情けない。いまは黒光りするゴミなのに。金輪際ローランドは信用せずベリンガープロフェットクローンを大人しく待つことにしつつ今後クソ重いブラザーのオルガンとエフェクター何個かを持ち運んでライブに行くのかと思うとダルすぎる。指先からオルガンの音が出たらいいのにな。それにしても楽器がうまくならない

ローランドは外国人社長になってからプロユースとエントリー機材の境目にあるオリジナルな面白いところが急になくなってきた気がして心配。顧客をナメたり中国に向かわざるを得ないところはあるんだろうが全然レガシーが生きていない。多分、抵抗とか真空管やらの入手の問題で昔そのままの回路が作れなくなってて、というのもあるんだろうけれど、ベリンガーくらいの完成度でも、いじってれば全然燃えるアナログ魂というものは確実にある。それなりの精度でいいから復活させてほしい。ロシア製の部材がとれなくなってなおさらアナログシンセまわりは辛いんだと思うが

 

深堀骨の新刊が出るらしくとても楽しみ。文体圧がものすごく、好きになってはいけないと感じてしまうくらいの反則技を繰り出し続けているおっさん。中高生の頃に文芸誌でくらった変な作家、阿部和重本谷有希子舞城王太郎笙野頼子らへんは情報量が溢れておりこれがゼロ年代だったのかというかんじだったがみな各々落ち着いてくるか気が触れてきている感もありそのなかで深堀骨はばりばりクラッシックなんであって木下古栗は自覚的職業的にこなしているところもなかなか好きだ

 

変わらないといえばバーホーベンのベネデッタ、修道院での奇跡をもとにしたサスペンスは奇跡というものがある程度の意外性が求められるという事象に着目した揺れがすさまじい、奇跡を奇跡として受け入れてしまえばもうそれは茶番という危うさ、ペテンゆえに信じたいというペスト禍の人間心理がとてもスリリングであったけれども大枠は予知夢にうなされ革命戦士として目覚めたシュワちゃん大暴れのトータルリコールと大差ない手堅さで、この映画のことはすぐに忘れてしまうだろうとも思ったしそれはそれでいい。惜しくも我が国には佐村河内守容疑者がつい最近降臨したばかりだし彼は確実にキリストであった、調整音楽という千年王国復権を目指さし数万円ぽっちのギャラで錬金術をおこなった彼のソウルはとても美しくいつまでも私の心の中に残るだろう。佐村河内守、どんな哀れでもいいから音楽を続けてくれ、まだムーンドックになる道は残されているのだから、彼にベリンガーのモノシンセという秘蹟が与えられますよう、お祈り申し上げます

 

ゲームセンターじらし

寿司が回転し続ける空間においてひとは正気を保てるものなのか、ストリートキッズ版アイヒマン裁判の火蓋は切って落とされた。おれはかねてから、中古で家電を買うときにはチンコとウンコのことしか考えてこなかった。古本、チン毛しおり上等。中古シンセ、チンコで弾いてるかも、これならばウクライナの指揮官並みに勇み買う。炊飯器、ウンコ炊いてるかも、これはなし。みたいな。疑心暗鬼になったらきりがないけれどみんなどこかで線引きをしてうまくやっている。そんななかで過剰に報道するのはどうかと気の毒にはなる。あの動画をみて、なんとなく、荒野行動ってこういうことか、という知見だけは得た。けれどこれを機会にカウンター寿司の魅力を再確認することになったことはとても良かったことだ。立ち食いであればスシローとさほど値段も変わらずに素敵な大将が昨晩シコってから風呂入って綺麗になった手で自分のために握ってくれた寿司を提供してくれるはずだ。いなりもにぎってる。

この騒動は裏を返せば回転寿司という営業形態に一定の期待と信用が形成されたということでもあり、ちょっと前ならなにかとひどい店もあったわけでマナーも千差万別というのがローカルな姿だったと思う、それが競争でうまく淘汰された挙句、今回のビジネスモデルの根幹を揺るがす事態なんである。向かうべき方向はふたつしかない。いまよりもフランチャイズがちがちな衛生管理が進んでつまらなくなった分を過剰なオート化などで補っていくか(客の身体を五点拘束してレールから寿司が直で注ぎ込みつつワサビの代用で鼻フックで清涼感を与えるとか)、客同士を牽制させあって一定の秩序を生み出すかだ。後者につながるのは通報の積み重ねでは決してないはずで、たぶんファンダム的なものだ、例えば誰もしょうゆをペロペロしないまま累計1万皿達成できました、的ないやそれはつまんないか、持ち込み料払ってマイボトルをペロペロしながら寿司をつまむってのがオツかもね、徴兵も回避できるしな。いぇい

 

しかしハメをしっかり外し続けるという人間は一定数おりその存在群は社会善であると思う。コロナでそのへんの連中が叩かれやすくなっていることを憂う。探検家という職業が過去のものなんですよ、というのが村上龍13歳のハローワークの冒頭だったし職業教育の初歩としては申し分のない導入なんだろうが探検家というのはなかなかしぶとい。高橋大輔『漂流の島』はロビンソンクルーソーのモデルが過ごした住居を探し当てるために脱サラした探検家が今度はジョン万次郎らが漂着したアホウドリが住まう島になんとか向かい痕跡みつけるというノンフィクション。こういう執念深いアホがいるということは大事なことだと思う。なかなか読ませる展開だった。

 

明日はライブ、前売りで埋まったらしくそういうぎゅうぎゅうな雰囲気で演奏するバンドではないだろうと思いつつ、なかなか楽しみだ、とはいえ自分はとても前売りを買って計画を立てるというタチではないので、なかなか酷なことだとは思う、常に私語とドリンクオーダーを推奨するライブを今年は企画してみたい(スピったコルトレーンは曲が終えられず延々と演奏し続けドリンクオーダーが入らなかったからハコの人がブチ切れたらしい、んでそのあと楽屋に戻っても吹いてたってすごいよね)。ちょっとしか人が来なくてもそれならペイだろう、パブロックってそういうことなのかどうか

 

国分寺ペイペイの還元率が高くアツい。とても好きなスポットが点在している割に駅前がクソ閑散としているのもよろしい

 

 

 

 

 

くっせえわ

私が物心ついて以来、TBSの土曜午前は東京のイケてるスポットからグルメ、お部屋まで幅広く紹介する王様のブランチが放映されているが、地方に住んでショックだったのは部分的ではあれブランチがまあ全国的に放映されているらしいということだった。なぜ視聴者の大部分に縁のない情報を発信し続けているのかと以来疑問だったが最近謎がすっきり解けた。

TBSのIR資料をみると、資産や収益の大部分を赤坂付近の不動産が占めている。要はTBSは港区赤坂に引力を生じさせることは使命なんである、ここまで潔く都市機能の豊かさ快適さ喧伝する姿には胸を打たれるものさえある。東京のことならTBSにお任せ!しかし王様的な振る舞いをした渡部は秒でパージされたので共和国のブランチという名前のほうがしっくりはくる

 

しかもTBSは自社総額以上の東京エレクトロンの株を塩漬けにしており、資本を全く活用できていないよくわからない存在なのもクールだ。アクティビストが台頭してきているなかで今後の展開に期待が持てる。低PBRなとこも投資対象として魅力だ。東証が今年なんとかしようとしとるけん

東京の都市機能は90年かそこらにはすでに完成していて、あとは代謝を繰り返しながら差異がなくなっていくだけだということは渋谷のブンカムラに至るエリアと歌舞伎町エリアの池袋化を見るに明確なことであり、官能度は確実に下がっている。官能度がなくなった都市ではどうしても顕示的な消費が目立ちそれはまさしくブランチ的な世界なんである

高橋伴明監督の『愛の新世界』は94年のSM嬢とホテトル嬢の日常系。大人計画の面子を穴兄弟にする舞台女優役の鈴木砂羽がこなす女王様の演技は素晴らしい。彼女がアラーキーポートレートを撮られるところから物語が始まって、東京各所で舞台公演までの日々がまあだらだら続くんだけど、同じロケーションでアラーキーの撮ったスカした彼女のヌードが挿入されて、その剛柔なギャップが映画に奥行きを与えている。アラーキーの写真はようわからんけれど、彼は被写体の生活感のようなものに異様に執着していることがこの映画をみてわかったことでもある。無駄に車飛ばすし、まあいい映画であった。ロジャーコーマン、高橋伴明、やら無駄に車飛ばす映画ばかり最近観ている気がする。

 

最初のほうのJUNOをデジタルで再現するRolandのシンセを最近メインで使ってて、安さゆえ同時発音が4だからなんとかモジュレーションかけつつテンションノートだけ入れていくかんじがけっこう面白かったんだけど、便利な音つくったのにコーラス切ったら無音になるつうバグが発生してリセット、そのあとはジャック(これもステレオミニでいちいち最悪)を半挿しにしないと音が出なくなってまあ完全に見放したい。アナログなふるまいをするデジタルのプロダクトが情けなく壊れていく様は無様である…

しかしプロフェット5を弾く矢野顕子の音選びはまあすごかったと思う、やつはピアノになるとさらに和音を抜く。高橋幸宏のグルーヴもすごいけどさ、あれはしこたまリズムマシンに合わせてしらけずに演奏したいと願った人間にのみ叶うグルーヴだ、なので我々にも確実に少しはシェアされているはず。全身RIP(きのう仕事で自動文字起こしを使ってたら立法という言葉が全て「リップを」で起こされて魂が震えた。議員リップを…だって)

 

国書刊行会のドーキーアーカイヴシリーズは軽い読み口のストレンジフィクションが集まっていて最近のたのしみだ。いま本当にヤバいのはマヤ文学のシリーズなんだけど理屈がおかしすぎて読んでいて疲れる、最近は仕事が忙しいしバンドのあわせるのでも頭使うからあまり難しい本は読めなくなった。老化かもしれんがまあ重盛さとみの代じゃけんてなもんで『さらば、シェヘラザード』はまあ面白かった。書こうとして書けないポルノ作家のタイプライターがすべりにすべる哀しい話ではあるんだけどこれって会田誠の『青春と変態』じゃねって気持ちをぐっとこらえて読み進めたあとのラストに向かう疾走感よ、メタフィクションの類はブログに淘汰されつつ(そいや金子兜太の日記最高!)あるけれどもウレセン作家の本気はマスターピースまあ

 

 

 

 

慌てないで配偶者サンバ

本当に映画しか楽しみがないまま1年が過ぎた。本当にアホな政治が続く中で映画というのは政治家が介入できない数少ない領域なんじゃないかと思う。

 

○ここ数ヶ月で映画館でみて記憶に残ったもの

ドントウォーリーダーリン
…ワーナーなんだけどA24をコンセプトや美術等ばりばり意識しているのが興味深くみてみた。監督は女優がやっていて、前作のブックスマートはプロムものという紋切り型の映画なのに性欲が強い女ヲタ2人のパーティデビューという切り口でめちゃめちゃ新鮮で感動したし見てみたんだけど、すごい。ディストピアものには食傷気味だったけれど、新しいと思ったのは、終始仮の世界でどうよく生きるか、振る舞うかという話に修練していたところ。通常ディストピアものというのは、本当の世界が種明かしされた後は、どう二重生活に折り合いをつけるかというのが定石であることは自明だったと思うが、本作は終始そのような観点はなく、ハリボテの世界のまま物語がドライブする、その軽薄さがキネマトグラフ調の幻覚や俯瞰ショットといったA24的雰囲気をなぞっただけの安易な魅せ方とシンクロして逆に小気味良い。世間は明らかにメタバース慣れしているっていうことなんじゃないか。

 

ゲットクレイジー
…ロックンロールハイスクールの監督が撮った、フィルモア劇場はきっとこうだったんだろうという年末の催しの顛末をステージと舞台裏で同時進行するコメディ。これまでの映画のなかで一番感動した。設定はかなり甘くて、ステージのラインナップはBBキングみたいなブルースマン、ジェッツみたいなギャルバンとそのペットのGGアレン風パンクス、デビッドボウイ風のニューロマ男がゲンズブール風のバラードも歌う、みたいな、なんでもござれ的な出し物があるんだけど、びっくりしたのがみなブルースマンのカバーを個性を出しながらして互いにリスペクトして年末への高揚感を加速させていくという展開で、特にGGアレン風のカバーがリフでためてバイテンしてモッシュというアレンジが秀逸だった。泣いちゃった
とりはボブディランのものまねをしているルーリード。このオチでメタ的なしかけが用意されていて、それまでの陳腐な出し物にリアリティがもたらされる仕掛けでしびれた。みんな絶対にみてほしい
年末にロックンロールハイスクールも通しでは所見。ネットでいいシーンはみてしまったから驚きはせず前半はロジャーコーマンのノリでしかるべくダレでいたが、ラモーンズの出演が尊いラモーンズが素晴らしいのは、その気になれば誰でもラモーンズのようになれるところというか、とにかく最大公約数的なポップさがあるところだ。革ジャンのガリガリというマイノリティだからこそできる恥ずかしいほどのキッチュ

 

LAMB
…こちらは一方で本家A24の悪いところが全部出ている。クソすぎる

 

あのこと
…中絶が違法のときに孕んだフランスJDの話。日経の映画レビューで星5だから見てみたけどひどかった。確かにショックなことだと思うし大変な目に遭った女の人はたくさんいるだろうが、だからといって2時間ストレートにその不安を共有させるだけの映画に何の意味があるんだ。批判しづらい映画とは思うが、どうなんだと思う。ちょっと前のムーンライトという映画を思い出した。なんかの賞をとったしけっこう褒められていたけれど、めちゃめちゃ陳腐で昼ドラもいいとこの物語で、これが異性愛だったら絶対に箸にも棒にもかからないんじゃないかとゾッとした。逆差別とは思わないが、ゲタはかせすぎなんじゃないか。しかもムーンライトは明確なカラミ描写は浜辺でのテコキだけで、しっかりアナルセックスに向き合ってくれればせめてまだよかったと思う。

 

月はどっちに出ている
崔洋一の映画はどれもロマンチックだから、絶対にスクリーンで見た方がいいと思う。90年代の日本人はバブルの恩恵で、有史以来最もキザでナルでクールだったんじゃないか。国立フィルムアーカイブはしばらく改修になって、大ホールでは見られない。残念な限り。
とにかく岸谷五朗がめちゃくちゃいい。自分のなかでは大好き五つ子のお父さんでしかなかったが、佐野史郎ばりの化け物だったと気づく。タクシーの運ちゃんが主役の映画に外れはなく、それはゼロ年代中川家のM1ネタで大衆演劇に結実した。

 

クイーンオブダイヤモンド
…ニナメンケス監督の存在は知らなかったけど既存のジャンル映画を脱構築するオルタナ感覚にびびった。この手触りをソフィアコッポラはずっと出したくてだらだら撮っているのかとも思ったけどどうなんだ

 

編集霊
…鶴田法男の女優霊リスペクトとなれば見るしかなく、久々にシネマートにいったら暇な中年男性半分と推し活動の一環で不慣れな映画館に来ている女子高生半分、後者が上映中もくっちゃべりまくり、このまま中年にボコボコにされたら最高だ、とわくわくしていたが、あまりのくだらなさにだんだん、もっと騒げ、変な爆音でびびらそうとする割にカッスカスにだれている静寂を引きさいてこの場を台無しにしてやれ、と中盤では思い始めているのは私だけではなく、最初はギャハハとJKがローリングするたび睨みをきかせていたみなくっちゃべるのを許容して放置する空気が出来上がってきたのを感じられさながらイケてないJK応援上映という様相を呈していた。美しい光景だった。
なにが特別ひどかったかというと、編集でカットされることを拒んだ女優の霊というあらすじから予想されるとおり、案の定リングのパクリになるのだが、その貞子的女優の死体が見つかってなおリビングデッド的な霊が野放しに暴れ回る、というパープリンな展開、成仏しました的な安易な演出後も怪異が続くし、仮にも90年代ホラーをリスペクトしているならありえないほどに何も考えられていない。死体、霊魂、怪奇現象は三位一体なのであり、整合性をとらなければ何も成立しない、これはホラーとしては異端である。ただ一つ考えられるのは、昨今のB旧映画はゴア描写を過剰に求められる傾向があり、その結果ぼやっとした霊魂では何もとれず、ヌルヌル系の幽霊になるんじゃないかということ。それにしても蛍光灯の下で見るヌルヌル霊はちょっとどうか。今後B級をみるときはできるだけ白熱灯が多そうな映画をみることとしたい。
どれだけできが悪くても視聴環境が悪くても、映画館で上映してくれるだけありがたい。映画くらいしか楽しみがないこっちが悪いのだから…

 

○UNEXTで印象に残ったもの


瓶詰め地獄
夢野久作原作のロマンポルノだけありストーリーがすごい。瓶詰めになるのも控えめで上品。近親相姦モノなんだけど、主役のなんとか小夜子というAV女優のスレ具合が絶妙で素晴らしい。いまのAV女優はAV女優になりたくてるのでみんな似たような感じだし、ちょっと変わった雰囲気があってももれなく陰獣だったりソープあがりだったりするので奥ゆかしさがない。中高生のころはビデオボーイというアダルトDVD紹介雑誌をよく読んでいたが、目当ては月にひとりAV女優の生い立ちを写真をふんだんに交えて紹介するコーナーだった(柚木ティナの幼い頃の写真はかわいすぎてネットミーム化している。おれはリアルタイムで震えた)。それをみてなんとなくわかったのが当時はどヤンキーだったりど貧困だったりする連中の一発逆転のパスとしてAVデビューがあったというこっとで、日活ロマン全盛期はなおさらだったんだと思う。文春文庫のAV女優という分厚いインタビュー集もけっこうエグい不良自慢や不幸自慢が多くてまだ読む価値はあると思う。いまはユーチューバーの身の上話のほうが面白いことが多そう。どのような経緯で業界に飛び込んだのかはわからないが、なんとか小夜子の演技は人柄がにじみ出ていて素晴らしい。

 

クライマッチョ
…グラントリノ以降のイーストウッドはどれも焼き直し気味ではあるけれどWASPの悲哀を演じるには老いたイーストウッドはしっくりきすぎていて、わかっていてもどれもぐっとくる。

 

DOOR
高橋伴明の専業主婦スリラー。ただドアの向こうのセールスマンが怖いヒス気味の主婦をみせるだけの話なのに、ワンテーマの劇伴使いがすごい。気の抜けたタブラにDX7をのせたノッペリしたテーマなんだけど、それが弛緩的な効果を生んでいて、話の滑稽さをしっかり自認するかのようなつくりが逆説的なリアリティを生んでいて、登場人物の狂人ぶりが浮き彫りになる。うますぎる。3作目は黒沢清監督のトビーフーパーっぽさもあるサイコホラーでそっちをさきにみていたので、こっちのシンプルなストーリーには驚いた。シリーズものでテーマも同じなのは本当に良い。

 


平等主義が蔓延る部署に配属になり、リモート勤務が無くなり今年は本当にしんどい。ストレスで古本を買いまくっているが労務管理がしっかりめのため給料はしっかり下がっているのでかなりヤバい。土日のバイトでもしようかな。いらっしゃいませ!これはドリアです!!

A豊乳ワールド

三連休はすごい人出だった。外国から人が着ていないのに駅前も電車もぱんぱんでこれからどうなってしまうのか、ほんとに景気は悪くなるのか、それともみんな自分と同じで大して金もないのに出かけたい気分になっているのか、10月の決算期ではまだそれは教えてくれないんだろう。岸田がまわりの族議員に引っ張られて再開した旅行支援はまじでクソだ。固定費が上がって何もしていないのに金が減っていくなかで旅行をしてもどんよりして何も楽しめない。喫茶店でタバコを吸っていた方がよほど気分は遠くにいけると思う。それがニコチンの作用だったとしてもムードは本物なんだから

 

クローネンバーグのコズモポリスの雰囲気が良すぎて最近印象に残っていったところでドン・デリーロの原作を読んだ。脚本でどう料理しているのかと思ったのも気になったところだ。クローネンバーグはあまり理屈は尊重しない。濃淡はあれど出世作ビデオドロームでは特に顕著でそれが魅力になっている。関係性の相似や反復に支えられた不条理(高橋洋監督の新作 ミソジニー はその方法論を使いこなしていて見ごたえがあった)。しかしこの原作を読んで驚いたのは、ほとんどの筋書きイベントをなぞっていたところ。しかも唯一避けたシーンは予算の都合かもしれないが、めちゃくちゃに暴動が起きた後のNYで全裸でアート映画の撮影に巻き込まれ、そこで新妻と遭遇して肉体的接触に至るというシーンというのがクローネンバーグらしい。そのことで為替取引で静かに破滅しながら何もかもリムジンで済ませるという主人公の一貫したモードを強調できてよい映画になっていた。しかも、このシーンを入れたとしたら原作の主題が確実にシラけることをわかって端折っている。クローネンバーグは素晴らしい仕事をした。原作を読んで初めて明確にわかったのは、この話は資本主義に外部があるのか、というのがテーマであるところだ。映画ではそれはほのめかしにすぎず、冷酷で色魔な主人公が何にリアルを感じるようになるかというのが主題(アメリカンサイコでは届かなかったところを明らかに意識している)。一貫して資本主義の理屈に絡め取られていくなかで社会的破滅の先の肉体的な痛みを通じて人生を意識できるというラインになっている。映画のなかで映画に出たらそのストイックさが外部内部の関係が露骨に現れてしまうだろう。世界が開けてしまいリムジンの長回しも台無しになってしまう。小説から映画に落とし込む中で、クローネンバーグはたぶん感覚的に避けたのだろうすごすぎるクローネンバーグ。
んでやはり小説は小説でよくできていた。2000年代初頭にここまで加速主義的な世界観を描いたのは先見の明がありすぎる。テロをひきずっていたのだろうけど、この世界はコロナのあとで市場が楽観的になっているまさに今の雰囲気を描写していると思う。このような本はプレゼントに最適だと思う。主人公はオタクやシングルマザーや異教徒、出稼ぎ移民といったマイノリティに無自覚無根拠に惹かれてきた。暗殺の噂が流れる大統領の出席行事があるNY暴動の日にただ床屋に行きたがる一日の話なんだけど、これは巨額の為替取引で同等の影響力を持つという自意識を表している。それでも為替の不条理は避けられず、空しさを奇行とセックスで埋めながら急速に一文無しに向かっていく中で果たして資本主義の外は存在するのか、するとして自分がそこで生きている意味はあるのかを自問する話(一文無しという状況もアウトサイダーも資本との関係において存在することは幻滅につながる)、美しすぎるだろ!!
ドン・デリーロはユーモアのないピンチョンで、内外に同じだけ自己を拡張する中動的なディックなのであるなそりゃ地味なんだろうけど、社会の外の手触りに吟味している書くことにとても真摯な人だと思う。

みうらじゅんの活動のひとつに親子孝行プレイというのがあって、それは彼にとってはSM趣味からきている羞恥プレイのバリアントなんだろうけどコミュニケーションというもののの根っこをかなりつかんでいたと思う。関係性というのはなんでもプレイに修練されるものなんであって、ブラック労働を止める啓蒙の糸口もここにあるんじゃないか。労働環境を法でがちがちに是正しなくともストップワードを尊重しさえすれば現代奴隷労働はそこそこ機能するはずだ。
いっぽうすべてがプレイだと開き直ってしまえば人生は味気ない、だからこそヒトはSMに惹かれるのだと思う。痛みを通じた関係は自分事でありかつほかの関係に浸食するジョーカーになりうる。ロマンポルノナウ二作目、白石監督の 愛してる! はコメディではあるけれど偏見のないSM理解に基づいているもので感動した。それのみならず、プロレス志望の地下アイドルが女王様として見いだされるというストーリーを通じて、地下アイドルとプロレスというカルチャーの魅力をSMを接点にして掬い上げている。どちらもシラけを克服してこそ熱くなれるものでそれだからこそ楽しめる、ラストに向けて全部がごっちゃに絡み合っていく様は最高に馬鹿であるからこそ素晴らしい。今年の邦画でいちばんだったかもしれない。キャスティングもよかった。ストップワードが愛してる、という設定ひとつで無限の可能性がある、豊かなエロさだ

なのにロマンポルノナウ一作目は失望しかなかった。山崎ナオコーラ原作の 手 はロマンポルノの暖簾を下げることを完全に失敗している。あげればきりがないがすべてがうまくいっていない。それもひとえにロマンポルノの可能性を信じていないからだと思う。ロマンポルノはAV前夜の映画館マジシコり連中のニーズに応えるためか、出入り自由入れ替えなしという環境が生んだ部分視聴する余裕ある大人な連中に向けてかはわからないが頻繁に性交シーンを挿入しなければならないという制約のもとに名作がたくさん生まれてきたんだろうが、本作は単に性交シーンが多様で長いだけだ。しかもそれがファザコンの歪みゆえジジ専の主人公が同世代の男にガチになれたのに実はただのセフレだったという流れを台無しにしている。いろんなセックスを楽しんでいたらどう見てもセフレという関係にしか見えないだろう。相愛であったとしてもその行為中はセフレでしかない。その淡々とした情事を超えたところにどのような瞬間を、関係をみせるか、というのが普遍なロマンポルノの醍醐味なんじゃないのか。セフレにされ傷つくというところをハイライトにするのは狂っているし、ただ原作をトレースしてだらだらとセックスを描写するグニャグニャな運びは何もかもを台無しにしている。
唯一よかったところといえば、それは愛してるにも共通しているがみな乳首が平凡だったというところだ。奇乳を差し込むエロ映画の様式美はよくわからない。それとも昭和には多かっただけなんだろうか

 

やっと夏が終わった。毎年この季節には巨乳が確実に増えていると実感させられるのはいささか奇妙であったけど、その理由がわかった夏でもある。ここから先の購読は有料としたいくらいの発見だ。ブラジャーには流行というものがあり、盛り方もまた微妙に変化していくのである、去年とはひと味違う膨らみの女体群を続けざまに目視すると、みんなデカいな、とただただ思わされてしまうんだ
生きていればいろいろなことがわかって面白い。それと引き換えに失われていくのは歯茎の鮮やかさと頭髪くらいなもんだから、なんとでもない