慌てないで配偶者サンバ

本当に映画しか楽しみがないまま1年が過ぎた。本当にアホな政治が続く中で映画というのは政治家が介入できない数少ない領域なんじゃないかと思う。

 

○ここ数ヶ月で映画館でみて記憶に残ったもの

ドントウォーリーダーリン
…ワーナーなんだけどA24をコンセプトや美術等ばりばり意識しているのが興味深くみてみた。監督は女優がやっていて、前作のブックスマートはプロムものという紋切り型の映画なのに性欲が強い女ヲタ2人のパーティデビューという切り口でめちゃめちゃ新鮮で感動したし見てみたんだけど、すごい。ディストピアものには食傷気味だったけれど、新しいと思ったのは、終始仮の世界でどうよく生きるか、振る舞うかという話に修練していたところ。通常ディストピアものというのは、本当の世界が種明かしされた後は、どう二重生活に折り合いをつけるかというのが定石であることは自明だったと思うが、本作は終始そのような観点はなく、ハリボテの世界のまま物語がドライブする、その軽薄さがキネマトグラフ調の幻覚や俯瞰ショットといったA24的雰囲気をなぞっただけの安易な魅せ方とシンクロして逆に小気味良い。世間は明らかにメタバース慣れしているっていうことなんじゃないか。

 

ゲットクレイジー
…ロックンロールハイスクールの監督が撮った、フィルモア劇場はきっとこうだったんだろうという年末の催しの顛末をステージと舞台裏で同時進行するコメディ。これまでの映画のなかで一番感動した。設定はかなり甘くて、ステージのラインナップはBBキングみたいなブルースマン、ジェッツみたいなギャルバンとそのペットのGGアレン風パンクス、デビッドボウイ風のニューロマ男がゲンズブール風のバラードも歌う、みたいな、なんでもござれ的な出し物があるんだけど、びっくりしたのがみなブルースマンのカバーを個性を出しながらして互いにリスペクトして年末への高揚感を加速させていくという展開で、特にGGアレン風のカバーがリフでためてバイテンしてモッシュというアレンジが秀逸だった。泣いちゃった
とりはボブディランのものまねをしているルーリード。このオチでメタ的なしかけが用意されていて、それまでの陳腐な出し物にリアリティがもたらされる仕掛けでしびれた。みんな絶対にみてほしい
年末にロックンロールハイスクールも通しでは所見。ネットでいいシーンはみてしまったから驚きはせず前半はロジャーコーマンのノリでしかるべくダレでいたが、ラモーンズの出演が尊いラモーンズが素晴らしいのは、その気になれば誰でもラモーンズのようになれるところというか、とにかく最大公約数的なポップさがあるところだ。革ジャンのガリガリというマイノリティだからこそできる恥ずかしいほどのキッチュ

 

LAMB
…こちらは一方で本家A24の悪いところが全部出ている。クソすぎる

 

あのこと
…中絶が違法のときに孕んだフランスJDの話。日経の映画レビューで星5だから見てみたけどひどかった。確かにショックなことだと思うし大変な目に遭った女の人はたくさんいるだろうが、だからといって2時間ストレートにその不安を共有させるだけの映画に何の意味があるんだ。批判しづらい映画とは思うが、どうなんだと思う。ちょっと前のムーンライトという映画を思い出した。なんかの賞をとったしけっこう褒められていたけれど、めちゃめちゃ陳腐で昼ドラもいいとこの物語で、これが異性愛だったら絶対に箸にも棒にもかからないんじゃないかとゾッとした。逆差別とは思わないが、ゲタはかせすぎなんじゃないか。しかもムーンライトは明確なカラミ描写は浜辺でのテコキだけで、しっかりアナルセックスに向き合ってくれればせめてまだよかったと思う。

 

月はどっちに出ている
崔洋一の映画はどれもロマンチックだから、絶対にスクリーンで見た方がいいと思う。90年代の日本人はバブルの恩恵で、有史以来最もキザでナルでクールだったんじゃないか。国立フィルムアーカイブはしばらく改修になって、大ホールでは見られない。残念な限り。
とにかく岸谷五朗がめちゃくちゃいい。自分のなかでは大好き五つ子のお父さんでしかなかったが、佐野史郎ばりの化け物だったと気づく。タクシーの運ちゃんが主役の映画に外れはなく、それはゼロ年代中川家のM1ネタで大衆演劇に結実した。

 

クイーンオブダイヤモンド
…ニナメンケス監督の存在は知らなかったけど既存のジャンル映画を脱構築するオルタナ感覚にびびった。この手触りをソフィアコッポラはずっと出したくてだらだら撮っているのかとも思ったけどどうなんだ

 

編集霊
…鶴田法男の女優霊リスペクトとなれば見るしかなく、久々にシネマートにいったら暇な中年男性半分と推し活動の一環で不慣れな映画館に来ている女子高生半分、後者が上映中もくっちゃべりまくり、このまま中年にボコボコにされたら最高だ、とわくわくしていたが、あまりのくだらなさにだんだん、もっと騒げ、変な爆音でびびらそうとする割にカッスカスにだれている静寂を引きさいてこの場を台無しにしてやれ、と中盤では思い始めているのは私だけではなく、最初はギャハハとJKがローリングするたび睨みをきかせていたみなくっちゃべるのを許容して放置する空気が出来上がってきたのを感じられさながらイケてないJK応援上映という様相を呈していた。美しい光景だった。
なにが特別ひどかったかというと、編集でカットされることを拒んだ女優の霊というあらすじから予想されるとおり、案の定リングのパクリになるのだが、その貞子的女優の死体が見つかってなおリビングデッド的な霊が野放しに暴れ回る、というパープリンな展開、成仏しました的な安易な演出後も怪異が続くし、仮にも90年代ホラーをリスペクトしているならありえないほどに何も考えられていない。死体、霊魂、怪奇現象は三位一体なのであり、整合性をとらなければ何も成立しない、これはホラーとしては異端である。ただ一つ考えられるのは、昨今のB旧映画はゴア描写を過剰に求められる傾向があり、その結果ぼやっとした霊魂では何もとれず、ヌルヌル系の幽霊になるんじゃないかということ。それにしても蛍光灯の下で見るヌルヌル霊はちょっとどうか。今後B級をみるときはできるだけ白熱灯が多そうな映画をみることとしたい。
どれだけできが悪くても視聴環境が悪くても、映画館で上映してくれるだけありがたい。映画くらいしか楽しみがないこっちが悪いのだから…

 

○UNEXTで印象に残ったもの


瓶詰め地獄
夢野久作原作のロマンポルノだけありストーリーがすごい。瓶詰めになるのも控えめで上品。近親相姦モノなんだけど、主役のなんとか小夜子というAV女優のスレ具合が絶妙で素晴らしい。いまのAV女優はAV女優になりたくてるのでみんな似たような感じだし、ちょっと変わった雰囲気があってももれなく陰獣だったりソープあがりだったりするので奥ゆかしさがない。中高生のころはビデオボーイというアダルトDVD紹介雑誌をよく読んでいたが、目当ては月にひとりAV女優の生い立ちを写真をふんだんに交えて紹介するコーナーだった(柚木ティナの幼い頃の写真はかわいすぎてネットミーム化している。おれはリアルタイムで震えた)。それをみてなんとなくわかったのが当時はどヤンキーだったりど貧困だったりする連中の一発逆転のパスとしてAVデビューがあったというこっとで、日活ロマン全盛期はなおさらだったんだと思う。文春文庫のAV女優という分厚いインタビュー集もけっこうエグい不良自慢や不幸自慢が多くてまだ読む価値はあると思う。いまはユーチューバーの身の上話のほうが面白いことが多そう。どのような経緯で業界に飛び込んだのかはわからないが、なんとか小夜子の演技は人柄がにじみ出ていて素晴らしい。

 

クライマッチョ
…グラントリノ以降のイーストウッドはどれも焼き直し気味ではあるけれどWASPの悲哀を演じるには老いたイーストウッドはしっくりきすぎていて、わかっていてもどれもぐっとくる。

 

DOOR
高橋伴明の専業主婦スリラー。ただドアの向こうのセールスマンが怖いヒス気味の主婦をみせるだけの話なのに、ワンテーマの劇伴使いがすごい。気の抜けたタブラにDX7をのせたノッペリしたテーマなんだけど、それが弛緩的な効果を生んでいて、話の滑稽さをしっかり自認するかのようなつくりが逆説的なリアリティを生んでいて、登場人物の狂人ぶりが浮き彫りになる。うますぎる。3作目は黒沢清監督のトビーフーパーっぽさもあるサイコホラーでそっちをさきにみていたので、こっちのシンプルなストーリーには驚いた。シリーズものでテーマも同じなのは本当に良い。

 


平等主義が蔓延る部署に配属になり、リモート勤務が無くなり今年は本当にしんどい。ストレスで古本を買いまくっているが労務管理がしっかりめのため給料はしっかり下がっているのでかなりヤバい。土日のバイトでもしようかな。いらっしゃいませ!これはドリアです!!

A豊乳ワールド

三連休はすごい人出だった。外国から人が着ていないのに駅前も電車もぱんぱんでこれからどうなってしまうのか、ほんとに景気は悪くなるのか、それともみんな自分と同じで大して金もないのに出かけたい気分になっているのか、10月の決算期ではまだそれは教えてくれないんだろう。岸田がまわりの族議員に引っ張られて再開した旅行支援はまじでクソだ。固定費が上がって何もしていないのに金が減っていくなかで旅行をしてもどんよりして何も楽しめない。喫茶店でタバコを吸っていた方がよほど気分は遠くにいけると思う。それがニコチンの作用だったとしてもムードは本物なんだから

 

クローネンバーグのコズモポリスの雰囲気が良すぎて最近印象に残っていったところでドン・デリーロの原作を読んだ。脚本でどう料理しているのかと思ったのも気になったところだ。クローネンバーグはあまり理屈は尊重しない。濃淡はあれど出世作ビデオドロームでは特に顕著でそれが魅力になっている。関係性の相似や反復に支えられた不条理(高橋洋監督の新作 ミソジニー はその方法論を使いこなしていて見ごたえがあった)。しかしこの原作を読んで驚いたのは、ほとんどの筋書きイベントをなぞっていたところ。しかも唯一避けたシーンは予算の都合かもしれないが、めちゃくちゃに暴動が起きた後のNYで全裸でアート映画の撮影に巻き込まれ、そこで新妻と遭遇して肉体的接触に至るというシーンというのがクローネンバーグらしい。そのことで為替取引で静かに破滅しながら何もかもリムジンで済ませるという主人公の一貫したモードを強調できてよい映画になっていた。しかも、このシーンを入れたとしたら原作の主題が確実にシラけることをわかって端折っている。クローネンバーグは素晴らしい仕事をした。原作を読んで初めて明確にわかったのは、この話は資本主義に外部があるのか、というのがテーマであるところだ。映画ではそれはほのめかしにすぎず、冷酷で色魔な主人公が何にリアルを感じるようになるかというのが主題(アメリカンサイコでは届かなかったところを明らかに意識している)。一貫して資本主義の理屈に絡め取られていくなかで社会的破滅の先の肉体的な痛みを通じて人生を意識できるというラインになっている。映画のなかで映画に出たらそのストイックさが外部内部の関係が露骨に現れてしまうだろう。世界が開けてしまいリムジンの長回しも台無しになってしまう。小説から映画に落とし込む中で、クローネンバーグはたぶん感覚的に避けたのだろうすごすぎるクローネンバーグ。
んでやはり小説は小説でよくできていた。2000年代初頭にここまで加速主義的な世界観を描いたのは先見の明がありすぎる。テロをひきずっていたのだろうけど、この世界はコロナのあとで市場が楽観的になっているまさに今の雰囲気を描写していると思う。このような本はプレゼントに最適だと思う。主人公はオタクやシングルマザーや異教徒、出稼ぎ移民といったマイノリティに無自覚無根拠に惹かれてきた。暗殺の噂が流れる大統領の出席行事があるNY暴動の日にただ床屋に行きたがる一日の話なんだけど、これは巨額の為替取引で同等の影響力を持つという自意識を表している。それでも為替の不条理は避けられず、空しさを奇行とセックスで埋めながら急速に一文無しに向かっていく中で果たして資本主義の外は存在するのか、するとして自分がそこで生きている意味はあるのかを自問する話(一文無しという状況もアウトサイダーも資本との関係において存在することは幻滅につながる)、美しすぎるだろ!!
ドン・デリーロはユーモアのないピンチョンで、内外に同じだけ自己を拡張する中動的なディックなのであるなそりゃ地味なんだろうけど、社会の外の手触りに吟味している書くことにとても真摯な人だと思う。

みうらじゅんの活動のひとつに親子孝行プレイというのがあって、それは彼にとってはSM趣味からきている羞恥プレイのバリアントなんだろうけどコミュニケーションというもののの根っこをかなりつかんでいたと思う。関係性というのはなんでもプレイに修練されるものなんであって、ブラック労働を止める啓蒙の糸口もここにあるんじゃないか。労働環境を法でがちがちに是正しなくともストップワードを尊重しさえすれば現代奴隷労働はそこそこ機能するはずだ。
いっぽうすべてがプレイだと開き直ってしまえば人生は味気ない、だからこそヒトはSMに惹かれるのだと思う。痛みを通じた関係は自分事でありかつほかの関係に浸食するジョーカーになりうる。ロマンポルノナウ二作目、白石監督の 愛してる! はコメディではあるけれど偏見のないSM理解に基づいているもので感動した。それのみならず、プロレス志望の地下アイドルが女王様として見いだされるというストーリーを通じて、地下アイドルとプロレスというカルチャーの魅力をSMを接点にして掬い上げている。どちらもシラけを克服してこそ熱くなれるものでそれだからこそ楽しめる、ラストに向けて全部がごっちゃに絡み合っていく様は最高に馬鹿であるからこそ素晴らしい。今年の邦画でいちばんだったかもしれない。キャスティングもよかった。ストップワードが愛してる、という設定ひとつで無限の可能性がある、豊かなエロさだ

なのにロマンポルノナウ一作目は失望しかなかった。山崎ナオコーラ原作の 手 はロマンポルノの暖簾を下げることを完全に失敗している。あげればきりがないがすべてがうまくいっていない。それもひとえにロマンポルノの可能性を信じていないからだと思う。ロマンポルノはAV前夜の映画館マジシコり連中のニーズに応えるためか、出入り自由入れ替えなしという環境が生んだ部分視聴する余裕ある大人な連中に向けてかはわからないが頻繁に性交シーンを挿入しなければならないという制約のもとに名作がたくさん生まれてきたんだろうが、本作は単に性交シーンが多様で長いだけだ。しかもそれがファザコンの歪みゆえジジ専の主人公が同世代の男にガチになれたのに実はただのセフレだったという流れを台無しにしている。いろんなセックスを楽しんでいたらどう見てもセフレという関係にしか見えないだろう。相愛であったとしてもその行為中はセフレでしかない。その淡々とした情事を超えたところにどのような瞬間を、関係をみせるか、というのが普遍なロマンポルノの醍醐味なんじゃないのか。セフレにされ傷つくというところをハイライトにするのは狂っているし、ただ原作をトレースしてだらだらとセックスを描写するグニャグニャな運びは何もかもを台無しにしている。
唯一よかったところといえば、それは愛してるにも共通しているがみな乳首が平凡だったというところだ。奇乳を差し込むエロ映画の様式美はよくわからない。それとも昭和には多かっただけなんだろうか

 

やっと夏が終わった。毎年この季節には巨乳が確実に増えていると実感させられるのはいささか奇妙であったけど、その理由がわかった夏でもある。ここから先の購読は有料としたいくらいの発見だ。ブラジャーには流行というものがあり、盛り方もまた微妙に変化していくのである、去年とはひと味違う膨らみの女体群を続けざまに目視すると、みんなデカいな、とただただ思わされてしまうんだ
生きていればいろいろなことがわかって面白い。それと引き換えに失われていくのは歯茎の鮮やかさと頭髪くらいなもんだから、なんとでもない

エンタのジーコ様

ああ沁みる!沁みるわ!という歌謡は織田哲郎が作っていた、ということが多い。

https://youtu.be/ryIkc_iuZCU

https://youtu.be/OpZfmfSIdbA

https://youtu.be/PjgyH3lVI18

カノン進行でよくこんなにたくさん曲作れるなとも思う。ギターで作ったらこんなことになるわけでもないだろうに、そしてあきちゃは巨人の入団テストに合格しそうな雰囲気がありやはり良い(目が離れているのかもしれない)

 

そして多分織田哲郎は手がデカい。ひとりでダブルみたいにテンションをつけたリフをこなしている、この曲はマークボランの再構築で悪趣味で良い

https://youtu.be/1m7oDb5qT70

相川七瀬が助かるのは元ヤンがやってる飲み屋はたいがい世代的に相川七瀬が好きなことだ、こっちに引きつけておけばワンピースの話を回避することができる、織田哲郎に仕立てられた相川七瀬は真性のグラムヒーローだったもしかしたらイエモンよりも、ニューロマ風の曲もあって懐古的すぎず良かった

https://youtu.be/4W4dmZK9neg

 

最近ご飯食べるときにこち亀を観るという習慣が始まり90年代の時事ネタに触れている。下町人情への着目ではちちんぷいぷいこち亀は先駆していた(大阪のローカルテレビは小汚い商店街ロケが繰り返されこれぞ大阪という絶叫が炸裂しておりマジで怖い)。しかし時代が時代なだけあり天然物のミソジニーが炸裂しており、オープニングはベンチャーズのカバーに載せて夏は女の乳がデカいという歌詞、エンディングは女は随時笑っているべきだその程度だというどちらも今聴くにはしのびない最悪な曲だ、こっちは最近マクドナルドがうまいこと切り取ってCMソングにしていたがよく炎上しなかったな、最近ではタイムパトロールが組織され時を遡ってxxx警察が来る…単なる死人の墓掘りともいえるが

両津と中川は共依存のび太ドラえもんだった

 

第二次大戦特にファシズムについての総括ができなかったこともあり、同意なく共同体へ惰性で属することへの一面的なフォビアがこんにちのxxxxズムにマウントされていると思う。良いか悪いかは別として、諸々の生きづらさはスライドしていくだけのような気がする、しかし生きづらさは先進国特有にクローズアップされる問題でもあり、中流の貧困化と温暖化が進んでいる日本においては数年後には超ペラペラのタンクトップをみなで身に纏って道端でおっぱいの歌を口ずさむようになる気もしなくもない

希望は出生率の低下で、これは肉欲への理性の勝利と捉えるべきだろう、GHQのありがたい教育のおかげで永らくセックスは社会悪でありかつ家庭や共同体にとっての善であったしそのよじれがhentai産業の揺籃となったが、家庭や共同体への反発により変態シーソーのバランスは傾きセックスは絶対悪になった。肉体を精神で押さえつけることができる者はさとり世代という称号を得、できない者はhentai産業出会い系のレガシーであるティンダーやタップルに御布施をすることでセックス免罪符をゲットしてなんとか肉欲をコントロールしている様子だ、GAFAMよりもTT(ティンダー・タップル)の支配のほうが若年層はよっぽどデカいんじゃないか、エクセルで絵を描く暇もないしさ、この調子だと20XX年少子化で勝手に滅びかけた日本に未来からセックス専用ターミネーターがいつか必ずやってきて、超絶妙具合なメカちんことぬるぬるメタルまんこで人類を必ず光へと導いてきてくれるはずだ、ターミネーターの登場は裸だったことからも奴がセクサロイドであることは自明なんだ、彼はボディビルでキャリアをスタートして肉欲を感化しようとしたが失敗(同僚にはオリビアニュートンジョン、ジョリジョリという剃毛の歌も啓蒙的である)、その後州知事まで駆け上がった、シュワちゃんという福祉的な響きからも孤高に公共善を背負ってるように見える、なかやまきんにくんも過去に戻って人類の危機を救うのかい救わないのかいどっちなんだい、救う!ヤー!パワー!ハッスル!フォー!

この世はでっかい宝塚

人の脳味噌のシナプスがWEB状に張り巡らされている形状からもわかるように、知識は指数関数的に増加する。何かの方面にくだらない知識をお持ちの殿方(聞いてもないのに教えてくるというのは極めて男性的なコミュニケーションであると今日なお感じるので多分あれはキンタマ反射のひとつなのでしょう)の突き抜け具合というのは甚だしく大抵は変態級に思えるもので、何かに多少詳しい、ということはありえないというのはその増加のカーブの著しさゆえなのだろうが、博物的な人間の価値というのはウィキペディアの充実にともない逓減したことには間違いない

人知がネットのサービスよりも優位であるのはそのリンクの仕方で、時としてくだらない、サイファーの冗談のようなものから過去のトラウマ級の経験に関わるものまでをつなぐひらめきというものにある、そのリンクこそがその人が何者かを物語る唯一の方法なのではないかと思う。春日武彦『私家版 精神医学事典』は完全なる連想で紡ぐ大著、どこから読んでも良いうっすらとしたくだらなさが絶妙なバランス感覚で持続するなかで、サブカルチャー・雑学や三面記事を行き来して精神医学のスタンスを詳らかにしており執筆の目的は果たされているものと思われる

特にくだらなく笑ったシーケンスは以下

 

日航350便→逆噴射家族

狂信者イーライ(※フィリップ・ロス著)→イーライ・ロス

フーグ→フーガ→一卵性双生児→ダイアン・バース→三つ子→興醒め

 

最近文庫になった『鬱屈精神科医、占いにすがる』では彼が自身の凡庸さに悩まされていることが最大のコンプレックスであることが明かされるものの、その凡庸さが功を奏してこの事典では脳味噌がリンクするかのような連想を皆に追体験させることができているんだろうと思った、人生の走馬灯のような輝き、こういう本はプレゼント向きですね、しかし半ば悪趣味に精神病を言葉少なで茶化しているのでアレですが

 

旅行どころか外出も最近できないので高野秀行ソマリランド探訪のノンフィクションを今更ながら一気読み。面白い…親戚から進路の相談をされたら迷わずに早稲田の探検部に入るように答えたい。人生は冒険や!ゆたぽんこそ早稲田に行け!映画ブラックホークダウンの敵役アイディード将軍の話もある。あのソマリア撤退があって国連から干渉を受けずに摩訶不思議な民主主義国家が誕生して、著者は向精神作用をともなう宴会にせっせと顔を出して聞き取った結果それが氏族制が機能してることに由来することを突き止めるっつうハンカチなしでは読めない感動巨編だった

ブラックホークダウンは戦ってそこそこ死んでそこそこ生き残ってこそアメリカ的な典型的現代プロパガンダ映画ではあるものの、ラストのシーンで不気味な現地人に囲まれながら敗走するところが何を狙ってるのかわからないがめちゃくちゃ怖い、それぬきでもまあアメリカの戦争の仕方が理解できる良い映画だと思う。リドリー・スコットの映画のドキドキさせ方はめちゃくちゃ好きかもしれない。エイリアンもそうだけど、急におっきな音ださないし、なにがなんだかわからない、みたいなカットがない。志村うしろ的なビビらせ方が好きだ。ホラーだとエスターや死霊館あたりの時期からお化け屋敷と変わらない音量や接近物でビビらせる子供騙しのクソくだらない手法のものが増えて、それがスリラーという分野で幅をきかせているがあんなものはアングロサクソンの酒飲みのアテにしかならないクズ映画なのであって、サブスクでホラーとスリラーを同じジャンルで括られては本当に困る。悪魔祓いだけでもいいから別の括りでソートさせてほしい

 

ビデオで見ても損なわれない空気感のようなものが救いで、やはりコーエン兄弟はそれがあるような気がする。フォークナーやアンダソンの小説を読むときの補助線になるほどの南部のどうしようもない雰囲気など。人間関係のもつれがこじれにこじれて、という話を得意とするけれど、西部劇的な妙に半端なカタルシスがあったりとバランス感覚が良い。ビッグリボウスキのビデオレンタルで火がついたキャリアなだけあるが、それ以前の作品のほうが好きだ

 

変態ムッツリ女教師とアイススケーター風イケメン生徒の禁断の恋を描いたミヒャエル・ハネケのピアニストを久しぶりに観たらレッスンそっちのけで変態プレイに興じててびっくりした。もっと音楽教育とSMの二重の関係に陥って、というものだったと記憶していたがハネケらしくバランスを欠いた奇妙な話だった、たぶんこの記憶違いに影響しているのはかの音楽クソ映画セッションだろう。セッションは全方位的に終わっているものの、成功しているといえるフォーカスとしては、教師はみなかつてのプレイヤーだという着眼点だ、格闘技等でもそうだが、教える側というのはたいがい一線は退いており、レッスンというのはそこをあやふやにして進行するもので(ジャンプだけは違う、亀仙人は強い)、いつでもボコせるという生徒と実は力に嫉妬しているという教師のそれぞれの事情による緊張関係の上に成り立つものだ。ハネケはピアノシーンと変態プレイシーンを分けているからそこには立ち入らない、しかしそのことによって、クラッシック教育とBDSM、禁欲主義の共通性をあぶり出しているのがキモキモハネケらしく上手だ。クラッシック、特に女教師が得意とするシューマンは情緒が不自然で訓練によって解釈が必要になるような、時としてシンフォニックメタルなのかしらんというようなゴテゴテしさがある。女教師は共依存のママに世間知らずだがシューマンは知っているという変態に仕立てあげられて…という単純な話だがこの主題はとてもスリリングだ(題名のない音楽会という朝のクラッシック啓蒙テレビ番組がある。途中に演者のプチ情報がテロップで流れる仕掛けが施されているのだが、あるファーストバイオリンが、ビーズが好き、というコメントを寄せていた、ここにクラッシック畑の病理の種明かしがされていると雷に打たれた思いだった、まず番組の趣旨からしてクラッシックに親しんでほしいのはわかる、しかしクラッシックの良し悪しがわからない状態でB'zが好きな奴のことを信用できるか。そしてこれは彦摩呂か寿司の食レポをしている時に「好きなお菓子はバカウケ」と出てくるようなものである、ならとっとと家帰って屁こきながらバカウケ食えよ、という話になる、このテロップの正解は意外性庶民性があればなんでもよかったはずだ、大のパチンコ好きとかで十分なのである、B'zを聴いていたら耳が腐るかどうかという点はさておき、とにかくクラッシック奏者に我々が芸術に関する美に対して抱きがちな情緒はいらないということだ、きっと紫豹柄の布団で寝ていようが、鼻糞をモリモリ食べていようが、良いバイオリンというのは弾けるものなのだろう、彼ら彼女らがやっているのはディシプリンを習得するという技術という意味でのアートというわけでただし指揮者に関しては勘の良さやロマン、アナクロニズムくらいは必要だと思うけれど)。いっぽうでセッションが滑稽で残念になってしまっているのはまずビッグバンドだからセッションはしていない点、そこを大目にみるとして抑圧的な環境で人はスイングできないのではないかという点に起因する、ただしそれらを切り抜け映画を成立させているのは、主人公はドラマーだというところが効いている。この映画を見たらわかるように、ジャズドラムというのは音楽よりもスポーツに近いのである、この映画の監督は音楽における師弟関係の危うさに気づいたのは良いものの、クラッシックでもバレエでもなくジャズを奇しくも選んだこと、そしてパルス運動に還元されるドラムという楽器をチョイスしたことで、ロッキーとそんなに変わらない映画になってしまったのだ、ロッキーは良い映画だがこの映画は期せずして踏絵になってしまっているのであり、観る者にとってアートという言葉のがどのような意味を持つかを判定するためのリトマス紙として機能する、ソファに寝っ転がってインスタやツイッターでなんとなくかわいいもの面白いものを集めて嬉しくなってしまうほぼ人類全般にとっては当然この映画は否とされるべきであって、この映画は教師の道を閉ざしてストイックにハード・ロックに向き合い続けている稲葉のようなヒーローのために捧げられ、そして松本に相談されるべきものなのだ

 

 

 

 

ごりんなさいって一言あやまって

米国は完全にバブルの終わりっぽくなってきてひたすらに日足線がロマンチックになっている。正義を共有できない世界において株式会社という制度を盲目的に信じながら利益と損失を繰り返す運命共同体はさながら部活のようでそのルーツが大航海時代にあったことは今だにありありとしている、ゴダールが死んだ日に市場は異様な滝状に盛り下がり反省会の様相さえ漂っており、辛い世の中とはいったいどんなものなのか

 

プラトーノフ著チェヴェングールはロシア革命から10年後に出版されたソヴィエトのあり方を喜劇的に描写する変な本だった。日本語で600頁になっているが最後の2頁のみ動的に結、というテンポにやられた、かっこよすぎる、小説としての完成度の問題で未訳だったところがあるんだろうけど、動作主を間違えても話がすすむところなど、パーソナリティを付与しない群像劇というところは結構今どきっぽくもあり面白い。共産主義というマジックワードで家族や信仰や労働をドンキホーテ調の屁理屈をこきながら魔改造していく架空の街チェヴェングールを描くのは後半で、前半はチェヴェングールにたどり着く前の蒸気機関士科学技術論になっているところがシビれた。

 

流行りの本をいくつか読む

ストレス脳

…書いてあることは普通。スマホ脳ではやったひとでストレスに人類学的にアプローチしつつ、本自体は平易なポジティブ倫理学のマナーになっているところ、自己啓発本かくあるべしというかんじで良い

高橋源一郎/僕らの戦争なんだぜ

…戦争文学のライトな解説、連載だから仕方ないが結論が弱いところがあり、学校の国語の先生みたいに年々なっている気がする、いつまでもワルぶっていてほしい

 

古本もそれなりに当たりがあった。

オフザマップ 世界から隔絶された場所

…いろんな経緯で変な場所になっちゃった名所紹介、Googleマップといっしょに見たら盛り上がれる名著だ、著者の洞察はあんまりだけど、キュレートのセンスはすごくあると思う、こういうのはプレゼントに良い本だと思う

 

フィリップ・ロス/乳房になった男

…100円棚で拾うことにこれ以上意義を感じる小説はないだろう、カフカの変身のおっぱい版、馬鹿馬鹿しくて良い、時代を考えてもフェミ的主題としては先駆だがとにかくバカバカしい。いっそ乳房になったナチ将校くらいが良かった

 

ニルヴァーナは今年完全にホットなものになった。お洒落な店で小音でかかっているという状況にまま遭遇する。カートは子供部屋のフレイバーを纏って地上に出てきた初めてのギター馬鹿だったんだろうと思うが、商売としては消費し尽くされたところで今こうして適当に場違いなくイージーリスニングされているというのはある意味で地下に戻ったということでもあるんだろうな

そのようなお店で90年代を過剰にした風の着こなしをしている少年少女数名がいて、カフェバーで下品に騒ぐところも含め過去への洞察感度が非常に高いのでは、と感動していたが、その後彼らは駅前で手製のトラックでケミストリーみたいな和物っぽい歌を歌っていた、よくわからない時代である…と乳房になった男を携えているような奴にはなんにも思われたくないだろうが

しかしシティポップの完成度が指摘されているがあれは我々でも十分に消化できるWASP向けのAORを参照していたから当然なんであって00年前後のR&B受容は目も当てられないほどひどかった。そのあと清水翔太とか若い人が出てきておおってかんじのフィーリングが出てきてたし向こうのミュージシャンのSNSを参照できたりして今は簡単にバックグラウンドごと理解することができるしみんな耳も肥えるわけなんだ

子供の頃にネットがあったら人生まるで違っていたと思う、これらは全てハズれなのではないか、とうっすら思いながらひたすら近所のブックオフで吟味した本や漫画やCDはなんにも価値はなかったし(岡崎京子は全部100円だった最高!)、YouTubeがあれば高校まで野球を続けるくらいには打撃を究めることもできたのではないかと思う、ていうかいまがいちばん内角を打てる気がする、引きつけて駒のようにバットを出すカープの前田のバッティングはアナログ放送では何にも分からなかった。いまはカットボールの最後の変化や打ち出しの打球の角度までわかるようになったくらいだし、クリアな映像はおもしろい

 

一方ローファイな映像の良さてのは懐古趣味をのぞいたらそこまでないが、ビデオカムの音声には非常に良いものがある、最近YouTubeにアップされたパステルズのライブ映像をよく見るんだけど、テープがびりびりなのと過入力なのとでギターとベースにうっすらファズがかかっているように聴こえてボーカルも中音域が立っていて固く、生のライブ体験に近いかんじがするしそれがライブバンドたるパステルズの魅力を増強させまくっている

そんな思い出みたいな音を出したくて昨日のライブは絞ったファズをかけっぱなしでやってみた、3つくらいしか弦を鳴らせないけれど、テンションをつけたときに色気なくベースくらい強力に雰囲気を変えることができて面白かった、ベースのはなちゃんには別のテンションを当ててもらって、という二人羽織スタイルでやった。やっと自分のスタイルを見つけた気はするがギターは病的に上手くならない

ファズは面白いかもしれない、暴力的なのに残響がないのがめちゃくちゃ良い。ワウやエコーチェンバーもそうだけど、歴史が長いエフェクターほど必然性があり補完的ではない何かの仕事をこなしていると感じる

 

久々に映画、NOPEを観た、Netflix制作くらいのまあまあな出来。後半はUFOを飼い慣らすというテレビゲームみたいだった。それはトップガンを観た時も思ったけど、スパイダーマン多角化展開のインタビューでソニーの偉いさんがゲームも映画も垣根がなくなるという予想をしていて、本当にそうなるんだとしたら困る。監督はゲットアウトやアスを撮っている人でやたらマイノリティを使ってきており、今回も黒人とアジア系とヲタクが頑張るようになっているが、UFOで一発あてよう、という構図はやもするとアフロフューチャリズムそのものでそれは監督がいちばん打ち砕きたい固定観念のひとつなのではないか、というばつの悪さを感じたし、この映画の魅力はメッセージを観ていればこと足りる、あれがなければきっとこの映画の雰囲気は無かっただろう、あれは言語SFという本筋があったけどノープは主題がとっちらかっている。サブキャラを発達障害のレズにした意味も特になく、それらの描写をカットしてゴダールより偉い蓮實大先生のいう90分におさめるべきだろうそれ超えると小便したいんだよ馬鹿、別に出てくる奴らがレズでも発達障害だらけでもいい、ただ前半でフォーカスするとフックだと思ってこっちは観てしまうというのが映画なんでしょうよ、小便のシーンは無かったけれど、だからといって登場人物が小便しない奇特な人達とは観客は思わない、それと同じことだ、こんなあたりまえのバランスもとれない頭の悪い奴が金かかる映画撮ってると思うと不安になる

 

 

 

負けない孤島・投げ出さない孤島

ネット金融で金策して借金生活に逆戻りするも、信用取引で謎の上昇相場には乗れた。運用の才ではなくただの度胸だったと肝に銘じてこのような事態は二度と起きないようにしたい。

金がなくなった理由はいろいろと仕方がないところがあり、頑張ってどうなるものではない。頑張ってより多くの富を得られるんだったらきっとソ連は続いていたいただろうし…

しかしざっくり数えてみると固定費を除いた月々の自由にできる金の半分以上が学生時分と変わらない価格帯の昼飯代(王将の日替わりとか、ドトールミラノサンドB程度)に消えている、最寄駅まで所得を持ち帰ることもできず、商店街に惹かれて住んでるのに非常に悲しい、かといって毎日弁当を持っていくのも辛すぎる、あんなもの紙箱に入ってるからまだぎりぎり食えるんであって、自家製のメシや米を密閉容器で運搬したものを食すなんぞ畜生の業だ(香しいパンティも密閉容器に入れたら台無しであることからも自明、ブルセラ業者が頑張ったらもっとマシな弁当箱発明できると思う)、こんなクソ文化はやく滅びろ!ウクライナ兵も戦地で煮炊きして頑張ってんのに、捕虜にだって弁当食わしたら大問題になると思う、サンドイッチやおにぎりはデンプン質が適度な湿気を保っていてあれはよく考えられている、特に海苔は除湿剤かつウマウマの素なんだからすげえよな

 

ついでだけど問題の現代弁当は旧日本軍の悪しきルーツを持っている気がしてきた、ちょうど開催中の甲子園のガキどもの坊主、応援団、チアやマネージャー制度も太平洋戦争のマインドが色濃く残っていて、自衛隊くらいには5年後にネットで盛大に叩かれていると思う。お盆中にテレビをつけたら5歳で親に売られたとしか思えないほどマネージャーが健気に頑張っていた。対価があるだけおれも労働頑張ろう…チアには先月売られた人がなれるらしい

 

よかったビデオ

メトロポリス

ドンデリーロ原作、クローネンバーグ監督もの、実写化されてるの知らなかった。二人はすごく相性が良く、原著で出したかった雰囲気まんまなんじゃないかという加速主義に近い資本主義への執着と過去や肉体への愛着の狭間で揺れ動きつつも動じない証券男…かなり良い

狙ってるとこもあるんだろうけどクローネンバーグは都度、撮り終えたら忘れる程度の謎理論・陰謀論に囚われてる感じがクールだし気まぐれさが一貫していて好きだ。はやく新作も見たい

こういう雰囲気の映画を見ているとマルキズムと資本主義はパラレルな危うさを孕んでいることを確認できる。マークフィッシャーの新刊が出たらしい、あいつ生きてるんじゃねえのか(hideの直近にリリースしたタイトルがギャルだったのでマジで亡くなってる

しょーもない和製ビジネス用語でゾンビ企業という言葉がある、補助金なんかで延命してる中小企業のことなんだけど、最近知ったのが形容詞だとリビングデッドという言葉も同じ意味であって、日本語話者のゾンビというものへの眼差し、その見下し加減は相当だと思った。多分英語で使ったらレームダックとはかけ離れたしぶとい企業だと思われて話通じないんじゃないかな。ゾンビはヴードゥーにルーツがあるとはいえ、キリスト教のスコープ、レザラクションをもってして愛さなければ映画も成立しないのではないかという予感、我々は基本バイオハザードの発想なんだと思う

 

・avec mon mari

ナナとかラフの実写を撮ってる監督のデビュー作、こんなに良い映画を撮っても数年後にはサムい権利物を撮りまくって食いつなぐしかないというのはどういうことなんだろうか、空気感が良い、並びで座らせたりするための口実でしかないようなあざとい出来事が続くものの良いカットが多い

ていうかめちゃくちゃびっくりしたのが

ストーリーは典型的な四角関係で、同性含めみんながいい奴だから嫉妬しつつ互いに好きになっちゃう、というのはまんまナナの構図というかヤバいところじゃんか、この映画見てオファーしたとしたらそいつらの感性は終わってる、中島美嘉がルックスを過剰に漫画に寄せてる(しかもベラ経由で)せいであの企画はお笑いにしかならないのは自明だったはずだからだ、n角関係の描写がどうかなぞとるにたらない、しかもナナ2はハチ役だけ変わるというダーティハリーシステム、クールだな!!

 

UVERworldは来年インディーポップの神様になるかもしれない

 

アダユミの同情金くれ!

このタイミングで内閣改造と恥もなく言えてしまうところに政権の病理を感じる。あれはただのパージなんだからしてどちらかというと内閣純化とか自ら言い切ってしまったほうが潔かったんじゃないか。純化が足りませんでした!とか言ってなんどでもやり直せバカ

しかしこのしがらみも、選挙協力しかも票以上にマンパワーがありがたかったというさもしい台所事情から起きているわけで、その点で自分はすでに知名度と人望のある芸能人や成り上がりの金持ちが政治家になる流れがもっと強化されるべきだと思っているので、ガーシーの出馬と当選はそれ自体はいいニュースだと思う、彼のやる気自体はおいといて

 

最新映画情報

 

哭悲…非常にくだらない、これまでの人生で最も最悪な映画を更新した(暫定王者安達祐実が恐竜とデートする映画)と思う、予告がめちゃくちゃシリアスだったのに、B級指向全開だったのにまず腹が立ち(予告もしっかりふざけろ)、スプラッタ描写はまあまあいけているが新規性はゼロ、そしてホラーで犯してはいけないタブーを幾重にも犯しておりどう考えても面白くない映画なのだ、これをほめている人間の存在のほうがよほどホラーだ

まずゾンビの感染のルールがよくわからない。一撃必殺系の攻撃をゾンビはやたら仕掛けてくるので、それで死んだ奴は当然ゾンビにならん。どーやって増えてるのか、増やしたいのかもわからずもやもやする。れいプしまくりっつう性欲があるというのも極めて萎える。バイオ系ホラーののキモは、なんだかわからないものが増殖しているから怖い(コロナ然り)のであって、性欲バリバリの色ゾンビなんてただの狂った皮膚病患者でしかない

プロットはロメロをオマージュしている、そんで感染症への備えや理解のなさ政府の対応の悪さ等の時事モノをやたらと風刺したいらしくそれゆえか、後半はショッピングセンター(ロメロの場合はそこに風刺があったという見方もできるひたすら消費させられる市民はっさながらゾンビであると)ではなくたまたまの流れで病院に立てこもるわけだけど、これが最悪そしたらゾンビはただの狂った皮膚病患者にしか見えなくて尚センスが無い

あと主人公の指が序盤でモゲるが、それがストーリーになんら影響しないていうかタオル巻くから見えもしないし。なら無駄にモグなよ!こんなさんざんなクソな展開につきあわされて、エンドロールでは無駄に表題がチカチカするからそのために最初にテンカンなるかもだから気をつけろという警句が、あれで期待が高まるだろうが、血まみれの老婆が雷にあわせて残忍な殺戮を、、、とかこっちは期待してしまうわけでもう何もうまくいっていないダメな映画だった、中国語の勉強にはなったのが奇跡だ

 

X…80点をしっかり取りまくる印象のA24配給の映画、まあまあ良かったしさっきの映画と同じ日に見たこともあって、関心した部分が多々あった。

悪魔のいけにえド級のオマージュなんだけど、細かな配慮で単なるアップデートにとどまらない感動があった。まず勧善懲悪的な予定調和を崩しているのでスリリングだ。レザーフェイスは出てこないし、不良な若者はその不良な部分ゆえに身を亡ぼすわけではない、それが今風でけっこう良い工夫だと思う。あとすごかったのは、田舎町に迷い込むのはポルノビデオの撮影クルーというところだ、ポルノ映像が金に、芸術になるかもしれないという彼らの期待は、ホラーフィルム黎明期の作り手それに重なる、この仕掛けでレトロオマージュな展開なほどぐっときてしまう作りになっている。CGも控えめだし結構よかった!今回も納得の80点

 

女神の継承…ナホンジンがプロデュースのタイホラー。ストーリーが雑すぎて残念だった。ナホンジンはコクソンでテーマにした現代化された価値観と土着の感覚が対峙するところに今回も力点を置いていたんだろうけど、なにせストーリーが雑なので、変なお祓いを見せられただけというかんじ。これもプロモーションであおりすぎだ。もっとキッチュな魅力を出した売り方にしたらまだ感想も違ったはずだけど、三眼ノ村なんてファンは大喜びで観てしまうけれどあれはあれでひどい作りなわけだし、

 

最近見たビデオ

学生のとき一度見たものを積極的に見返す

黒沢清監督作品…ドッペルゲンガーは最高傑作なのではないかと思う。ニンゲン合格や回路は今見るとやりすぎな感があるが色褪せていないな、また10年後に見ますという感じ、あとカリスマとキュアーも全然良い、若いころの哀川翔の雰囲気はすごいと思う、彼が出てくれば途端になんでもありになる感じ

台風クラブ桜の園でうかつにも感動しまくったのでもしかしたら学園モノが自分は好きなのか、とおもったが、結構キツかった。天気が変わって物語が動くというのはウルフっぽくて良い。しかしよくみると子役がダレている…相米慎二は勘のいい役者と組んだときの集中力がすごいのかもしれない、彼自身のキャパもあっただろうが群像劇には向かない人だったんだと思う。バービーボーイズをフル尺で2曲使うのはすごい、バービーボーイズのグルーヴはトーキングヘッズっぽいところもあるけれど切れがいいのか悪いのかわからない独特さがあってけっこうすきだ、中学生が踊るための音楽ということで腑に落ちた、この曲が特にすごい

BARBEE BOYS あいまいtension - YouTube

息もできない…韓国の低予算暴力映画。たけし映画っぽい男女の通じ合いが良い。安い感動にもっていきがちな反面ブサイクしか出てこないところ本当に真摯ですごいと思う。暴力の撮り方が接写接写で実録シリーズっぽくてかっこいい。封切で観てやたら良かった記憶があったのでけっこう非情な映画かとおもったらとびきりスイートでびっくりした

 

マジで金がないのでだいたいずっと家にいる、三十半ばで手取りが20万くらいというのは、どう生きていけばいいのか正解がわからん。身の丈の行動を心がけてシャワーは3日に1度にしている。節約とかではないが、そのほうが気持ちが整う。匂いで気づいた同僚の誰かがお金くれますように!