コーマ大夫 チクショー!

マトリックスが暗示したようにインターネットによって全ての人間がウェブに接続しているのみならず、そこそこのプロセスの半導体でモノやインフラがリンクしたことによる醸し出される一体感で、政体なぞどうでもよくなり共産党アレルギーも払拭されてよかったね

さいたまのミスドで、烏丸御池ベローチェで、突然この世の仕組みを教えてくれた狂人ババアのメモ書きたち、なぜ捨ててしまったのか、そのDMだけが世界の正しさを教えてくれたかもしれないと今となっては思う。ああいう奴らは今何を発信してるのかと案ずるがきっとワクチンでもロシアでもないんだろうそうあってほしい

 

ひとりで休日になると朝昼は何もたべず、それでも平気というモードになるがまあ元気がない。元気がほしくてズームのマルチエフェクターを買った。値上げのスピードがものすごく、これ以上上がるとまずい、てなので高校生が持ってるみたいな銀色のやつ。モノシンセの物悲しさもこれの甘がけで克服だ、しかしローランドの昔のマルチもいいんだよな、B’zとかWANDSでしか聴けない変なコーラス風味のクランチ垂れ流してライブしてもエモいかもわかんない、けどジャズコにそのままつっこむ気持ちよさを超えてはこないと思う。エフェクターかまさないとレスポンスがあからさまに違う、まじでギターをしばいている感覚になれる

 

トップガンマーベリックは拍子抜けするほど前時代の娯楽映画のフォーマットだった。訓練して友情を育み東側のミッションに挑む、それだけ。しかしここまでヒットしてるのは戦争のポジティブな面に飢えているからだと思う、昨今の報道は酷いものばかりだから英雄譚に飢えてるんだと思う。F14に乗る展開はゴルゴ愛読者・エースコンバット世代としてもアツい。

 

インフル病みのペドロフを撮った監督の前作ドンバスはロシア統治による混乱を見渡す先見の明がありつつどうやって撮ったんだという装甲車や爆弾使いでなかなか面白かった。ドキュメンタリータッチでマジックリアリズムのような手法は控えめ

 

出先で本を忘れて禁断症状が起こりブックオフへ、お察しの理由で読まず嫌いだったヴァージニア・ウルフに手を出してしまう。灯台へ は登場人物のヴォイスが垂れ流しで良かった。家父長的な価値観と学術や芸術に燃えるリベラルの社交を通じた冷戦、思ったより開かれた話だった。これだけではウルフの主義主張はわからんなというくらい小説の妙味が濃い

 

クローネンバーグブームが止まらない

スキャナーズはなんとプライム、非常に駄作の能力バトル、なぜプライム

ビデオドロームは今なお輝く風刺と不条理に溢れた傑作で、ハードコアポルノを観ると自分がビデオデッキになってコントロールされてしまう、という設定の甘さゆえの幻覚・夢オチ分岐が多様でお得意のVFXも効果的に生きている。新作も楽しみだ

 

食文化の本はかなり掘ったけれど、緻密になると失われる足で稼いだ洞察というものにやっぱり魅力を感じる。人類学者の石毛直道『食卓の文化史』は醤油とか旨味とか新大陸とか、おいしいトピックがコンパクトにまとまっていて読みやすいのみならず、それらに通底している自らの経験やら思い出が素晴らしい。先達に手がつけられてない異国でいろんな目にあって、そこまで気負わずいろいろ考えているのはすごい。岩波現代文庫はけっこうアツい、というか岩波文庫より賞味期限が長いものが多い気がする、エンデの短編もこっちで出ているのは権威主義バリバリな事情なのか、香ばしくて良い。あと表紙の強度が凄まじく、バイクに乗っても雨に打たれても大丈夫。

 

リチャードパワーズの黄金虫変奏曲は読み終えるまでに障子紙のようなカバーは朽ち果てた。5000円の本にこんな紙使うセンスはどんな理由であれ狂ってると思う。内容はというとDNAとバッハの対位法に類似性を見つけた早熟のサイエンティストが余生でスパコンエンジニアになり、美術史志望の弟子を媒介にして図書館司書と出会う(彼らは科学に造詣は深くとも非科学サイド)、というどう考えても面白くなる話ゆえ書きすぎて主題がボケているところはあるけれど、科学でわかるものとわからないものがどうあって、人間を理解するにはどう生きればいいのか、というテーマはパワーズのおそらく初期ゆえの作家としての気概が溢れており感動モノ

 

恐れていた梅雨が到来、今年は何が腐るのか…

ペパロニウェスタン

空飛ぶ車はただの大きいドローンだったし戦争はまだ戦車で撃ち合ってる、なんだか未来はなかなか来ませんね、音楽にいたっては依然として大カラオケ大会という有様でこうなったらコーチェラもスナックコーちゃんもあまり差がないんじゃないか

 

スタニスワフ・レムの『地球の平和』がようやく邦訳されたがこれはすごい。泰平ヨンシリーズ3作目でレムの最後のほうの作品。いきなり月から戻ってきた泰平の身体に異変が発生するボディホラーから始まる、なんと人類は軍縮の末に月で代理戦争を始めたらよくわからないミクロな戦争になって、調査員として赴いた泰平は脳の左右をつなぐ脳梁を焼き切られて半身が言うことをきかない…という最高なストーリーなんだけどあとはいつものレムで月兵器の謎を解いたり女を疑ったり信じたりという月曜日のたわわ主人公のモブ男(なによりあの漫画が糾弾されるべきは読者が自分を重ねやすいためになのか男の顔面がネットナンパ師風の重たい前髪で覆われているところだ)さながらになされるがままに右往左往するという、アツいのは後半精神病棟に引きこもるんだけどそのからの二重三重のスパイ工作的やりとりはもう、未来の戦争かくあるべしというような、本当にスリリングで感動モノなんですね、

これはぜひたくさん読まれてほしい、レムの頭の柔らかさとビジョンの頑固さが良い塩梅になっとります

 

ここ2年くらいでやっと視力が落ち着いてきて、同じ眼鏡をかけ続けている。地味かつまあまあ珍しいメタルの変形ラウンドなんだけど、それと寸分違わぬシェイプの眼鏡を最近、顔面がとても素晴らしい蛭田愛梨さんが着用していた。

眼鏡のセンスは10代のほうが確実に良くなっていると思う。

最近うさぎを飼うことになり、戸川がしげひこと名前をつけたその日にメルカリで蓮實重彦の本が2冊売れていた。そんなこともあるもんだ

ウサギといえば先日はドニー・ダーゴを観に新文芸坐へ、これが傑作でタイムリープものでここまで退屈させないものはないと思う。アイデアが素晴らしいだけでなく、音楽と潔癖なまでにシンクしていて快いシーンばかりなんですね(ベイビードライバーというクソ映画はそれだけが売りだった、しかしそのアイデアを成立させるために主人公を音楽好きな運び屋に設定するセンスのなさ、この映画はすべての劇伴を否定するウンコだ)時間が主題だからなのな往年のマスロックの 4拍子に合わせて家庭や学校でたくさんの人物がみこすり半劇場さながらに動いていくなかで、精神病の主人公は自室に飛行機部品が落ちてきてからというものの神様か幻覚としてウサギを見るようになって、という、こんな面白い2001年作があるなんて知らなかった。新文芸坐はありがたい。

いっぽう先日渋谷の某クソ映画館(なんもない坂をひたすら登った先にあるコンクリ打ちっぱなしで小便器が存在しないとこ)に観に行ったアピチャッポンのデビュー作は最悪だった。日本の皆さん向けに本人から冒頭で寒いコメントがあり「僕はどんな作品か忘れてしまったけれど…」なんてエクスキューズするもんだから悪い予感は揃ったところで(先客がウンコしてたからこっちは小便を我慢していたし)、案の定なんですが、コンセプトは素人に物語を紡がせる、というものでもう最悪、しかもその素人は魚売りから代わって最後ただのガキになる。いずれも自分の生活とはなんも関係ない縛りは足の悪い男がいて女が股から卵を産むというだけであとは自由、という、逆差別的発想なくして面白くなる気がしない代物だった。開始5分で戸川は寝たのは正解だった。おれも寝たかった、尿意さえなければ。

こんな拷問に2000円をとる神経が許せないし戸川以外のイビキが起きなかったのもありえないことだ。苛立ちがただ募る。

「インフル病みのペドロフ」もまあまあ辛かった。現代ロシアのアイデンティティが複層的になっているのを示すのは面白かったけどそれでも2時間半は辛い…

 

その他新作映画情報

ポゼッサー…たぶんクローネンバーグの息子の映画。マトリックス的なマシンで他人に寄生する殺し屋オババの苦悩。いちいち殺すにも死ぬにも理由がしっかりあり、とても誠実なひとなんだとおもった、18禁なのに無駄や不条理がゼロ。SFの妙味もそれなり、やはりマトリックス的なマシンを扱う近作ではレミニセンスがベストだろうという思いを強くした

チタン…こっちのほうがクローネンバーグ節というか、フランスのスリラーはやっぱり怖い。幼い頃に交通事故でチタンプレートを埋め込まれてから車に取り憑かれるっていうバラードのクラッシュを人体方面にサスペンドして上書きしている。フライ2っぽい展開もありますますクローネンバーグぽいなとますます思う

パリ13区…アジア系移民とアルジェリア人と生真面目ボルドー民とそいつに顔面が瓜二つのチャットレディの恋愛模様。18禁。今の恋愛の仕方っぽさが結構リアルだったけれど非常にご都合主義な話のラインだった。18禁ほど無個性になるのはなんなんだろうかと最近思う。初めて無理して大人料金で鑑賞したのがバトルロワイヤルだったので(山本太郎はこの頃すでに胡散臭い)、妙にブランドめいたものを18禁には感じてしまう。キリングミーソフトリーも思い出

 

リチャード・パワーズの黄金虫変奏曲が邦訳されて即読み始めている。ニ段組800ページくらいある体裁からわかるように毎度彼は芸術論やらなにかパースペクティブを明確に分離して提示しながら物語を進めるからそれはもうヴァリエーション「全て」ということになる。今回はバッハのゴルドベルグをDNA転写に重ね理解した落ち目の博士が主人公。箱庭を作って全部こういった芸風は発送自体は捻りはないがなかなかできるものではなく、息長く執筆を一貫して続けてくれていて本当にありがたい。

90年代の邦画「死んでもいい」には似たような雰囲気を感じた。誰が何のためになぜ死んでもいいのか、三角関係の前通りを示しつくして、圧巻のラスト、三文芝居で狂人らしさマシマシの永瀬正敏大竹しのぶが放つ「落ち着いたら、毎日が一緒よ」という一言が幾重にも意味を持つ仕掛けになっており、鳥肌立ちまくった

 

初めてギターをかついで下北で練習したり新幹線に乗ったりして恥ずかしかった。ギターという楽器をとりまくカルチャーはとても大きく、恥ずかしい、その初心を忘れないようにしたい。ストロークのニュアンスとセーハしたときのテンションの制約には、どの楽器よりも便利な点がある

 

毎日が一緒で落ち着いている

おいらはボイラやくざなボイラ

ウェス・アンダーソンの新作フレンチディスパッチは過去作での消化不良を全部回収したように手放しに面白かった。潔癖なまでの構図には磨きがかけられてウェスを模倣したインスタグラムの風景アカウントと何ら差異がなくなっている、それを90分やりのけるのはすごい。引き込まれる左右対称美のなかで架空の出版社が抱えるライターはいちいち愛らしく、しかし単純ではある。ウェスがウェスのモノマネに徹しているような気がしてそこは心配になる。娯楽色が増したことにより失ったものとしては、彼の過去作はどれも顔が面白い俳優を気の抜けたシーンで動かしてみて、半分素のような彼らのぶっきらぼうな仕草からキャラクターや関係性を読みとらせるような、微妙な愛着やら絆やらを突いてくるのが素敵ヤン、感動するヤンの根本だったように思う。それが物足りなさでもあったのだけど。今作の進み方はピタゴラスイッチのように簡潔だった。次どんなの撮るのかな、彼の潔癖なリアリティへの執着方法はまた変遷を重ねていくのかどうか

 

インスタグラムを全然やらないからわからないが(正確には昔はしっかりやっていた、その頃はSNS機能はなくただ撮影した写真を四角くタイルのように配置して保存できるだけのクソアプリだった。複雑な計算をさせて熱を帯びたiPhoneで手を温めるアプリとともに一瞬で利用熱が冷めたんだけど)、あれはひとの美意識にどれだけ影響を与えたのだろうか。私にとっては、グーグルストリートビューがただ生きてることの意味や価値、同時に無意味さや無価値さはかなさを相対化して教えてくれる非常にありがたい存在になった。

一時期話題になったストリートビューの写真家は今なお活動を続けている。ぜんぜん飽きないな

https://9-eyes.com

 

インディーミュージックの醍醐味として、伝える必要のないものを伝えることの美しさがあることは否定できないだろう。それが消費や受容からは離れたミュージシャンのわがままだったりおせっかいだったりゲームだったりスポーツだったり日記だったりするんだろうけど、そのルーツを背負ったまま受け手にそれらしい発信を音楽に絡めてしてしまったら、台無しってもんですね

こと戦争においても反対の姿勢を前面に示す態度が音楽集会の口実としてちょうどいいのはわかるけれど、戦争が終わってますます虐げられるような未来しか見えないこの局面においては、同程度のわずかな情報量で叫ぶのだとすると誰かプーチンを暗殺しろ、というほうが誠実なのではないかという気がする。戦争反対ってそれ自体ではリンゴは木から地面に落ちます、って意味しかもたないことに無自覚なんじゃないかと違和感を覚えるところが最近多い。ただ、リンゴは木から地面に落ちますっていう声をたくさんの人たちと集まって公共の場で上げ続ければ、そうでなくても周囲の人間と確認しあうだけでも、また違ったことにはなる。リンゴが木から地面に落ちる世界を目指して日々、頑張り続けなければ。いまだけなんだったら季節的に交差点でオーニッポーニッポーニッポーオーニッポーって叫んでる青い服の人たちとそう変わらない、興味を持ち続けることが大事だろう、長期戦に相応しい体力をつけたり温存したりしなければ。辛い報道でショックを受けさせる情報戦からは距離を取るか無感覚になったほうがいい。奴らの狙いは感情的になったり目を背けたりすることだから。対抗策としては今ばかりはしっかりした報道機関を信頼するに限る。CNNニュースは明るい話も取り上げてくれていて、それをメインにしっかりみてると結構こころのバランスがとれる。ファクトチェックもしていて画像や動画がフェイクだとすぐに教えてくれる特設ページもあるからSNSとのシナジーもある。アルジャジーラも非常にまじめで良い。気まぐれにネットサーフをして手放しにショックを受けたらもうそれは情報戦に無自覚に加担させられているのと同じだ、

有事の際に株価が死にたくなるほど下がって痛みを共にするのもそれほど悪くはないことだと思う。死にたい

 

 

寝具=ベッドで夢とおまえ抱いてた頃

あいみょんの佇まいは揺れた甲冑に似ィてる。

 

コンビニでビール2本とアメスピを買って1000円越え。もっともしょうもない1000円の使い方だと思う。ストリッパーの谷間に挟んだ方がまだ生産的。

 

会田誠『青春と変態』を読んだ。若い時に書いた小説らしいものに、あの人の作風に通底する潔癖なまでの政治的な誠実さを示すコードがちりばめられていて、切なくなった。覗き魔の高校生の日記のテイをなしていて、性器やら排泄やらの描写がこと細かく、つまり会田誠私小説とはすなわち覗き趣味の発露でしかない、ということを表明しなければわざわざ小説なんか書けないという、真剣になりすぎて極端な結果になるというのが彼の性癖が伝わってきて胸が痛い。とにかく、内省的な小説はおしまいだ、べつに会田誠が終わらせたわけではないが…

真逆でいくと保坂和志の話はぼんやりしてんな、と思っていたところ、ややウケ古典フロベールを寄せ集めた文庫本の編者をやっていることを知る。小島信夫との書簡をまとめた本をいま読んでいるところ。保坂がケンカを売ったり寄り添ったりしようとしている一方、ボケかけっぽい小島信夫は保坂の猫好きな側面ばかり執拗に指摘する…とかそんなかんじ。無為なコミュニケーションはそれじたい尊い爆笑問題のラジオ、カーボーイに近い。

フロベールは若い頃エジプトに旅行していて、その旅行記が法政大学出版会から出ていた。存在をしらずエロ本だらけの薬師の古本屋で購入。女買ったりもしてるらしい。

 

中田秀夫監督のホラーは今みてもいけるな的なラッキーな当たりが少ないが、『貞子』(2019)がよかった。池田エライザ主演で、水溜りボンドがチョイ役で出ている。それだけで今見返す呪いのビデオっつうかビデオの呪いってことになるんだけども、とにかく物悲しい。あとは重くて暗いカットが序盤からしっかり続くので心霊写真級に錯覚を引き起こす低予算CGが多用されてもまだ見れたものではある。最近のホラーは序盤バカ明るいのはよしてほしい

で、何がまあまあよかったかっていうと、貞子の怨念がストリーミングにしっかり対応できているところ、これに尽きる。デジタルグリッチからの貞子、こんな日がくるなんてな、あと精神病のオバチャンが貞子にまつわるヒントをくれるっていうギリギリの攻め方もよかった

現在において涙なしには観られない代物に意図せずして仕上がったがしかしこのことは不幸だとは思えない。なぜならハメ撮りは交通事故のようなものではないからだ。この宇宙はハメ撮りをする次元とハメ撮りをしない次元で構成されているのであり、近頃敏感にならざるを得ない加害だ被害だというパースペクティヴ、顔は映さないからという約束で顔を映しちゃって、局部をぼかすからという契約で局部をぼかさないで、もう完全に、完全に騙されたわという話とはちがうんである。ちょっと1回のつもりでハメ撮りしていつのまにやらはしごハメ、わかっちゃいるけどハメ撮り、というような倫理観で構成されているハメバースという世界は確実に存在している模様。ハメ撮りしまくってる輩にも、そんなことを知らずに鼻くそほじくって生きている輩にも平等に、毎度毎度きっちり朝日は登ってくるんですね

 

そんなメタバースの父、ニール・スティーブンスンによる『スノウ・クラッシュ』はどちらかというとサイバー要素が少なめで、プログラミング言語ふくむ言葉が媒介して脳がハッキングされていた、旧約聖書まで遡る壮大な物語だった、これはすごい…すごすぎる…

ちょうどイエスの墓からソニーのビデオカムの説明書が出てきた、っていうトホホなあらすじの『イエスのビデオ』という文庫をポチったところだったが、そのせっくな読書欲が失せるほどの身のすくむ読後感

 

新作映画情報

真・事故物件は音楽が良かった。ドローンやらノイズ使いは近年の和製ホラーのなかでは群を抜いてセンスが良い。あと密室のライティングもかなり良かったと思う。全体としてのモードは都合よくロブゾンビを模倣してて本当にだめだ。子供騙しです。何回でも騙されるからまた頑張って

ビートルズがやややってくるや

岩波ホールが潰れる。それを惜しむ声が続々と、まだ寝足りないというのか?かくして神保町から最上級の眠りを提供するホテルは高齢化の煽りをくった硬直性のなかで風営的感覚の波をくらって無くなったんであった。ていうか岩波カルチャーはとっくに終わってるのは出版事業からも自明だろう。頭でっかちの微妙なサヨクのカタログみたいになってるし、こうなると岩波文庫の赤版ナナメ読みがジャストでアツい。次の騎士道文学ブーム、ラテンアメリカブームまで本屋の片隅で静かに眠っててください…あと動物モノが面白い、科学ライブラリーもかわいいのだ…

 

他の名画座は気負いしない企画が増えて面白くなってる気がする。早稲田松竹のケリーライカート特集は4本どれもストーリーの切り取り方が抜群で彼女のアンチマチズモ、アンチ感動ポルノっつうDIY精神がビンビンにおっ勃っていた。かといって決してフェミではないだろう。若い客が多く30分の休憩中所在なさげにジェンダー関連の本を開くたちんぼ系男子が多かったように思うが。どんな文脈であれ上映してくれるのはありがたい…

特にオールドジョイがすごかった。若いときツルんでた男2人が大人になっていろいろ変わった身でキャンプに繰り出してマウントをとりまくる話、淡々と哀しすぎる

西海岸貧困層グランジミュージックの親和性を強く感じられたのも収穫。こっちも金もなければ身体も元気がなく、ダラダラした音楽を続けていきたいと思う。海辺のニューゴリラは今年もいいライブをたくさんしたい

 

年末くらいは最近の日本人の小説でも読むか、と思って町谷良平「ほんのこども」を読んだ。帯に そして世界文学へ と書いてあるのが保険になったから、なんて思ったら昭和私小説ノリがヤバくて、偶然再会した小学校の同級生の半グレから文体を奪ってしまいったことの懺悔、そのことを小説にする自分の悩み、フィクションにおける現実らしさ、一人称小説への違和感、など、月並みの苦痛で仕方なさ。自分と半グレがだんだん溶けていくラストこそ読み応えは(それこそ純粋に文体として)あったけれど、あべくんの不気味で不正確な文体こそ彼に営業を与えてきた境遇や社会からの影響だろうに、そこへは思いを馳せずにやたら窮屈なフィクションだった。疲れたな…

 

いっぽうシャラポア野口絶賛の保刈実「ラディカルオーラルヒストリー」は面白い。ケネディが来豪した、など、史実では正確ではないアボリジニのオーラルヒストリーの歴史学的意味、ほかの歴史学のマナーとどのように折り合いをつけるか、耳を傾けるべき理由が著者が末期癌のなかだったこともありアツく論じられる、これはすごい。物語るという行為の政治性は人間の根幹にあるんであって、そこは開き直っていいだろう、文体なんて大したもんではないんだよ

 

年末まとめ書評でかなり話題になった川本直「ジュリアンバトラー真実の生涯」は翻訳書のテイのデビュー作。言葉が完全にコントロールされている架空の20世紀文壇スキャンダル、めちゃくちゃ面白い。ドカベンプロ野球編モノのときめきをくれている。サンキュー!

 

水島新司の顔写真を見るたびに他人ではない気がしてソワソワする

 

ドM・ナイト・シャマラン

寒すぎる。寒さとSDGs教育が身体の芯まで染み渡り、ひもじさと罪悪感を抱きながら控えめにつけるエアコンの風は虚しい。こんなマインドで生きていけるのか、最近のガキは道徳教育の一環として未来の地球を考えているっぽくて本当にすごい。新聞に投書する変態のみに限らず、どうやら子供にとっては地球を壊さないことは正義らしい。親からの庇護を大なり小なり受けて、将来自らがどのような境遇に置かれるかもわからないのに、そんな時点で環境に配慮できるっていうのは腑に落ちない。産業革命の時点で人間は地球のバイキンだったはずなのに、何を今更というかんじである。ドライに税制や補助金で乗り切ってほしいものだ、じゃないと何してても楽しくないもんな

 

バチェラー4、大変なことになっている。うつ病の原因の8割がバチェラーの視聴なのではないかと思わせる本当にくだらない企画なんだけど、今回は、いや今回だけはたいそう美しい話で、アスファルトに咲く花のようです。

 

※ネタバレあり

 

今回の見どころはガチの成人ヲタクが参加女性のひとりとして出てくるところ。彼女がトリックスターというか、流れを決定づけそこから学ぶことは非常にたくさんあった。

今回のバチェラーは前回のバチェロレッテ(ユッキーナみたいな成金女性がベッキーみたいなバイブスを気の抜けた男性陣に身勝手に振り撒いて終わる)に参加したときの反省を生かして序盤から頑張りまくった(この世で頑張ってはいけないものはただひとつ、恋愛なんですね、その他の森羅万象すべてに対して頑張りが有効であることは10万時間の壁の存在などで説明されている。なかなか希望が持てる明るい話だ。しかしひとりの相手のことを10万時間想い続けたらどうか、もしかしたら情念が5Gにまぎれて電波に載って伝わるかもしれない。いっぽうルックス程度であればいくらでもなんとかなりそうだからそのようなアプローチで恋愛を頑張るのは有効だと思う。小室圭さんの顔面は、カッコよくなりたい、という想いの強さが現れた結果の人相になっていて好きだ。彼には整形手術をしたかどうかというのはあまり問題ではない、結局は彼の努力が叶うのは時間の問題なのだから)結果、いろんな女性とツーショットでここの世界のコードでは真摯なふるまいとなりうるキスをしまくり、それが発覚して顰蹙を買われまくる。そんななかバチェラーがデートしたのはかの成人ヲタクで、彼女の挙動がマジで痛く切ないそれでまず切ない。

待ち焦がれたデートの権利を得たヲタは挙動不審で手探りな頑張りで最後に、どこでもいいからキスをしてくれ、と言って目をつぶり唇を突き出すいっぽう、バチェラーはごっつぁん体質だったこれまでの反省とヲタを弄んだことな罪悪感に耐えきれずキスは頬にすることになるんですね、めちゃくちゃ可愛いのに(多分目が離れているから)!それで案の定、彼女の身を案じて脱落までさせてしまう。

かくして彼女はこの企画に相応な、初恋をゲットして終わるんだけど(心からおめでたい)、そこからの展開が素晴らしい。この波乱で女王様気質のひとりは離脱するものの、バチェラー含め残った者どもは、このゲームが茶番=プレイであることを意識せざるを得ず、ヨゴレ連中という冷静な一体感が各々の間に生まれる。さらにこのプレイで探し当てる将来の結婚相手は、この狂った世界(プーケット)を抜け出す同士というキャラクターも自動的に付与されることになる。こんな本物の信頼関係の確認構築に走る姿はリアリティショーではなかなか見ることができない。その時点で私は最後に残る女性が、バチェラー前に一度飲んだことがある、という経験を唯一有するリョウコさんだと確信したんだけど、やはり最後はそうなる。どれだけ顔がタイプから離れていようと、女性を守りたいという中華思想のそれをもつバチェラーにとっては心動かされる瞬間が少なかろうと、このような展開となってはリョウコさんは無敵だからだ。バチェラーにとってリョウコさんは、このトチ狂ったゲームに出てくるレプリカントではないことは確実で、その特権的な地位は唯一神のような輝きでバチェラーに迫ってきたに違いない。

この企画に出る人々の倫理観どうなってんだと世を憂う気持ちを持ち続けてきたが、今回の一連の予定調和に救われた。バチェラーとはリアル水着スパイアクションロマンスなのだ、という心の整理がつきました、本当にありがとう

 

レミニセンスというサイコSF映画が本当によく、メジャーどころのなかでは抜群に今年イチだと思っていたものの、バチェラーで霞んだ

レミニセンスを見る前にバチェラーの視聴は済ませておくべきだったんだ

シャコの海鮮物語

親戚や知り合いの子供らがスクスク育つ以外は紛うことなき終わりなき日常を生きているうちに時すでに師走、年末の紅白ではなんとマツケンサンバが見られるという朗報が。振付師のマジーは生きているのか?加齢や借金苦などでバックで出れないんだとしたら代役は是非ともクリス松村(クスリのアナグラム、かつ顔色劇悪でヒヤヒヤするオネエ)でお願いします。

 

休みの日は主に映画。ヒューマントラストでやってるマレーシア日本合作の『カムアンドゴー』に期待をかけたものの、

 

※ネタバレ有

このまま!シェイクシェイクシェイクヒップ!(米米クラブは上手いこといったJAGATARAであったという思いを強くしている。しかし同時代のプラスチックスやハルヲフォンもなんかそんなかんじだし、もしかすると真面目にポップスやるとなるとダンサーやら不審者やらで一通りの頭数を揃えるのが当時の常識だったのかもしれない。景気いいよな)

 

そうそれで期待をかけたものの、これが体調悪くなるくらいストーリーが破綻している。面白かったのは、稲川素子事務所風ではないリアルな就労者が各国たくさん出てきて、まあまあ現実感のある生活を送っているところ、ここまではすごい。しかも日本語学校教師やハーフの生きづらさまでカバーしている目配せは素晴らしい。外国人就労のノンフィクションだと思って涼しく眺めていれば2時間半はあっという間に過ぎる。しかし非常にムカつくのは、群像劇なのに物理的ニアミス程度でしか皆がなかなか錯綜しないし全体の持っていき方の傾向性共通性も特に見出せない。令和の時代にこんな投げっぱなしの子供だましは良くない。マイノリティ映画はこの手の稚拙さにびっくりすることが多い(ムーンライトなんてそのまま異性愛に置き換えたら陳腐すぎてゲロでます)。それだけでなくストーリーの中心を、よりによって出張中の身なりのいいマレーシアのエリートサラリーマンと日本人家出少女のロストイントランスレーション風のロマンスに据えてしまっているところが何より最悪。極めつけはこの群像劇におけるトリックスター千原せいじ(芸人だけあってペルソナが確立されており演技はめちゃめちゃいい)演じる警察官で、ヨメに外国人の彼氏がいることを見破り、冒頭の白骨化死体事件を解決したその会見で世相を斬るという立場や回収タイミングの直接加減が見ていて恥ずかしくなる。孤独な時代だ、とかいう千原せいじまんまの薄めの事件の総括、いやいや嫁さん外国人と不倫して孤独打破しとるやんけ、もっと抱いたげて、という感想しか残らない。おれが潔癖すぎるのか!?

 

いっぽう最近はピンチョン『ブリーディング・エッジ』を読むのに時間をとられている。さすがに5年くらい今の仕事続けてるだけ給料が微増しており、その分最近できるようになった新しい贅沢は「とりあえずピンチョンやマッカーシーの訳が出てたら買う」ことくらい。ピンチョンを読んで長期雇用の恩恵を享受しているのはなんだか複雑な格好だけれども。デビュー以降一貫してピンチョンの群像劇には、全ての人間が真偽入り混じるサブカルチャーを共有しながら、時にドラッグの力を借りて共感覚的に繋がっていくという特徴がある。その点で長編であることの妙味には欠けるものの、ピンチョンの関心はストーリーを綺麗に紡ぐことではなく、現代資本主義社会の主体性のなさと勝手にのっそりと向かいつつある方角を手探りで示す(齢80を超えてなお!)ところにあるのだと思う。今作はテロ前後の没落ITバブル界隈がサイバー空間へ逃げ込む話。コロナからのメタバースっていう今まさに読んでってかんじすな。日本人でこういう発散する長編を書いている人いないしな、ゲーマーっぽい宮部みゆきあたりが案外こっそりやってんのか、しらないが

インターネットが何なのか、ということを大なり小なり問わずして文学が成り立つのかとさえ最近思う

 

昨日はゴア映画のオールナイトに感涙。だいたい辛い思いをすることが多い朝5時からの4本目が絶妙なインディー感で心地よくなった。出だしからボートのエンジンの調子が悪くて無人島に漂着すると…というくだりでなぜかしっかりエンジン全開で島にむかって爆走してて、島には地獄のマイスター軍団(幹部だけなぜかゾンビ、一部はなぜか忍者)、彼らは軍服にアルミホイルの仮面、アルミホイルの剣、油性ペンの髭で裏切り者を処刑しまくってる、というマッドマックスの思い出を噛み締めながらでなければ処刑シーンを除いては目も当てられない

少ない予算でも週に一度しっかりアテレコ、殺陣、爆破を繰り返す戦隊モノのクオリティはすごいな、と思いつつ、それらが基準点として相互理解されているからこそ世界のインディゴア映画は思い切った捨象や稚拙なミスを悪びれもなく大っぴらにできているのだと思う。そんな細かいこと気にする暇あったら首モゲたときの血飛沫を一滴でも増すべきだろうから。全世界のオトコノコのチームプレーってかんじで平和な気持ちになった。満員の会場は9割以上がほとばしる男性で小便器がパンクしてたしね