おいらはボイラやくざなボイラ

ウェス・アンダーソンの新作フレンチディスパッチは過去作での消化不良を全部回収したように手放しに面白かった。潔癖なまでの構図には磨きがかけられてウェスを模倣したインスタグラムの風景アカウントと何ら差異がなくなっている、それを90分やりのけるのはすごい。引き込まれる左右対称美のなかで架空の出版社が抱えるライターはいちいち愛らしく、しかし単純ではある。ウェスがウェスのモノマネに徹しているような気がしてそこは心配になる。娯楽色が増したことにより失ったものとしては、彼の過去作はどれも顔が面白い俳優を気の抜けたシーンで動かしてみて、半分素のような彼らのぶっきらぼうな仕草からキャラクターや関係性を読みとらせるような、微妙な愛着やら絆やらを突いてくるのが素敵ヤン、感動するヤンの根本だったように思う。それが物足りなさでもあったのだけど。今作の進み方はピタゴラスイッチのように簡潔だった。次どんなの撮るのかな、彼の潔癖なリアリティへの執着方法はまた変遷を重ねていくのかどうか

 

インスタグラムを全然やらないからわからないが(正確には昔はしっかりやっていた、その頃はSNS機能はなくただ撮影した写真を四角くタイルのように配置して保存できるだけのクソアプリだった。複雑な計算をさせて熱を帯びたiPhoneで手を温めるアプリとともに一瞬で利用熱が冷めたんだけど)、あれはひとの美意識にどれだけ影響を与えたのだろうか。私にとっては、グーグルストリートビューがただ生きてることの意味や価値、同時に無意味さや無価値さはかなさを相対化して教えてくれる非常にありがたい存在になった。

一時期話題になったストリートビューの写真家は今なお活動を続けている。ぜんぜん飽きないな

https://9-eyes.com

 

インディーミュージックの醍醐味として、伝える必要のないものを伝えることの美しさがあることは否定できないだろう。それが消費や受容からは離れたミュージシャンのわがままだったりおせっかいだったりゲームだったりスポーツだったり日記だったりするんだろうけど、そのルーツを背負ったまま受け手にそれらしい発信を音楽に絡めてしてしまったら、台無しってもんですね

こと戦争においても反対の姿勢を前面に示す態度が音楽集会の口実としてちょうどいいのはわかるけれど、戦争が終わってますます虐げられるような未来しか見えないこの局面においては、同程度のわずかな情報量で叫ぶのだとすると誰かプーチンを暗殺しろ、というほうが誠実なのではないかという気がする。戦争反対ってそれ自体ではリンゴは木から地面に落ちます、って意味しかもたないことに無自覚なんじゃないかと違和感を覚えるところが最近多い。ただ、リンゴは木から地面に落ちますっていう声をたくさんの人たちと集まって公共の場で上げ続ければ、そうでなくても周囲の人間と確認しあうだけでも、また違ったことにはなる。リンゴが木から地面に落ちる世界を目指して日々、頑張り続けなければ。いまだけなんだったら季節的に交差点でオーニッポーニッポーニッポーオーニッポーって叫んでる青い服の人たちとそう変わらない、興味を持ち続けることが大事だろう、長期戦に相応しい体力をつけたり温存したりしなければ。辛い報道でショックを受けさせる情報戦からは距離を取るか無感覚になったほうがいい。奴らの狙いは感情的になったり目を背けたりすることだから。対抗策としては今ばかりはしっかりした報道機関を信頼するに限る。CNNニュースは明るい話も取り上げてくれていて、それをメインにしっかりみてると結構こころのバランスがとれる。ファクトチェックもしていて画像や動画がフェイクだとすぐに教えてくれる特設ページもあるからSNSとのシナジーもある。アルジャジーラも非常にまじめで良い。気まぐれにネットサーフをして手放しにショックを受けたらもうそれは情報戦に無自覚に加担させられているのと同じだ、

有事の際に株価が死にたくなるほど下がって痛みを共にするのもそれほど悪くはないことだと思う。死にたい