かなりやバイランドにて

後手後手の感染症対応、後の時代からみたら、職業別組合や住民自治にゆだねられた極めて歴史文脈的な対応と評価きれるのではないか、という気さえしてきたが、最近の政治家のパープリン度は政治主導化してなおいっそう高まる一方だというのは否めないだろう、泣ける。夜中にファミレスに行く基本的人権を返してほしい。文化なぞどうでもいいから、というか文化は時代の鏡であって必ずいつでもどこでも生まれる。宣言が出るたびに文化云々と言うやつは無自覚的特権主義者かストリートの感覚が無い人たちだろう。

梅雨が着て自宅の空気が悪くなってきた。西洋式の生活に向かない気候で我々は頑張って文化的な生活を送っているけれど、それが張りぼてと明かされる季節。いつになったら諦めるのやらスーツもべたべたで、いますぐアロハと短パンを正装に認定してほしい(日本は絶対にアメリカに併合されるべきだった。そしたらハワイやグアムとまとめて統治してくれただろう。大統領も選べるし、地球が平らだとか言ったりして盛り上がれる)。なんで男はスーツ着てるのに女はわけわからん恰好で働くことが赦されているのか謎だ。特にオフィスでいけるとされている素材のワンピースは絶対に下品だと思う。パンツの線が出るし、出なかったとしたらTバックだからだ。どのみち不誠実である。

 

エドゥアルド・ベルキン「サハリン島」をあらすじがバカすぎて買ってみた。震災と戦争が起きた後の破滅的なサハリンを旅する、学問的なディシプリンが確立されていないボンボンの学者による遠谷物語ヤングアダルト冒険譚、ディストピア小説って流行ってるけどそうそうこれだよね的な中国人韓国人差別てが満載の、ヤングアダルト文法であてられた。いったきり戻ってこない、流れ星のような読書体験つうかなんつうか。可もなく不可もなく

 

「ロビンソンの庭」を映画館でみた。じゃがたらはずっと自分のヒーローで、東京のいまのアングラシーンとの接続を色濃く感じることも度々あった、そのプロデューサーが監督の映画でしかも本人公認のリマスターときたらさぞ美しいんだろう、と思ったものの、直後は予想以上の80s自意識ノリに胸焼け、しかし監督の山本政志、彼は実写ジブリ映画の担い手間違いなし。投げっぱなしの過度に物質的な自作映画、遺産が転がり込んできたから億かけて撮れたと言っていた。ものすごくよくできていると数日たって思えてくる。終わりのトークは破滅的にひどかった(相手は植物が生えるまで待ってたんですか、と聞いて会場を凍らせる逆撮りも知らない結構有名な映画監督)ものの、面白いことを言っていた。話の筋からしたら意味がない長回しのシーンがあって、「いまみあらカットするところたくさんあるんだよね。でもそこ切ったら映画が壊れるんだよな」だって。映画が壊れるだって!!!!かっこいい奇跡ですね

つづけて「脳天パラダイス」もみてみたら、脚本が金子のお兄ちゃん。遺産も使い果たしていたようで話もとっちらかっていた(もともとめちゃくちゃなのにドラッグがファクターとして出てきて訳がわからない)んだけど、節々に着想が金子みたいなところがあり、家族っていいなと思った。自分は弟となんか似た発想をシェアしているんだろうか。マンション買うとこくらいは似たかった。非常に悔やまれる。

 

新作は必ず読むようにしている阿部和重「ブラック・チェンバー・ミュージック」は微妙だった。ずーーーっと映画っぽい長編を書き続けている、それだけでありがたい。存在が大好き。いつまでも頑張ってほしい。しかしユーモアが減っているのは家庭環境のせいかもで心配。次も読むけどな。オーガ(二)ズムは作家人生を終えるんじゃないかと思うほどよかったから、まあこんなものかもしれない

 

全裸監督シーズン2は悲しい話だしやっぱ1で終わるべきだったと思う。卑弥呼は準主役級なのに名前が変えられていた。この企画自体、黒木香に許可がないからだめだという意見もあるが、地上波、しかも朝生まで出てたらそれはもう文化人で、その人がいたことや事実は無しにはできないんじゃないかな。有名税とはまた別の話で。卑弥呼が文化人ではなかったというのは皮肉的で面白い

 

失禁するくらい面白いものがみたい。最後にちびりそうになった映画は早稲田松竹でみたパーソナルショッパー