リモート日記 極寒編

上がり調子の株式相場、無貯金のまま突っ込んでメキメキ伸びていた資産の価値もひと段落、とというかひと急落、手元に確かに残っているのは11月12月の見たことのない額の光熱費の請求書だった。それだけで生活を窮して今日はみかんを買うのをやめてぽんかんにした。再生エネルギーが注目されているがいくら集まっても所詮太陽光パネルや風車ではままならぬこの寒さ、こんなひもじいことになるなら原発東京湾につくって回しまくってほしい。手前のケツは手前でふこうや、ワシら東京都民は原発新自由主義的心中や!本当の東京アラートはチェレンコフ光なのでその場合は青ということで

 

イレギュラーなことが続き昨日の深夜寝付けず、テレビをつけたら放映中ゾンビのドラマの前回分の再放送をやっていた。タイムリーなあざとさで予告によると次回はショッピングモール編とのこと、悪ふざけもすごい。Netflixに見劣りしました、いや、見劣りしすぎたのかもしれません低予算な日本のドラマは全部ゾンビかヤクザ物になったらまだまだ楽しめるのにね。中条あやみという人がヒロインで、初めてみたけれどすごく不思議な顔で話が頭に入ってこないうちにいつのまにかオッサンになった竹内豊が自衛隊に撃たれた。中条あやみはどことなく片瀬那奈を思い出させる。

 

肛門みたいな名前のジャズミュージシャンによるトランプ支持を表明した1年前のブログが今更取り上げられて叩かれた。その応答として、いやあこれ1年前っスよ、とだけ言って逃げればよかったのにスタンスの維持を改めて表明して対話を求めたのはつくづくケツの穴が大きな奴だと思う。明示してはないけれど彼に通底しているのは1.ロマンチズム(アメリカらしいマインドへの憧憬や反戦を正義と過剰に認めるところ、トランプは結果として中東や東アジアに明確にはちょっかいは出さなかった)2.ポピュリズム(現代的な意味ではなく大衆音楽家としての、彼はニューアカ影響気味の理論武装はするけれどハリボテ感は明示するしスクーラーではない大衆的な美学がある。ヤケクソであっても初めて政治に希望を見出した地域や社会階層があったことは決して無にはならない事実で、僕が子供の頃プロレスラーだったトランプは日本でいうとそのまんま東容疑者やメロリンQの好まれ方に近い)3.ニヒリズム(世論は今や踏み絵のように扱うがトランプは所詮他国の首相なのであって、我々が何らかの態度を表明する直接的な意味手段効果は無い、強いて言うならトランプのファンか否かの問題で、彼はファン)これらを自覚的に説明はしないと思うから、わかってもらえないんだろうけどメディアバッシングは過剰だと思う。生産的じゃないからこの話を考えるのはやめたいしやめてほしい、大阪府知事の目つきはあからさまにバカのものだし、いくらただの一知事であってもあんな顔の奴を選んでる事実のほうがよほど近く深刻な問題だと思う。敢えてバカやりすぎて最後失敗したトランプのほうがまだ見るところはある。ある程度の人相学の復権を願う(血液型占いはゴリラが皆B型と判明した時点で辞めるべきだった、早急に顔占いに移行してほしい)

 

戸川の持っている本は元気が出るものが多く、ハヤカワ文庫の新刊『アレックスと私』が描くのは泣けちゃう実験用ヨウムと異端視された女性研究者との交流と発見の日々。いくつかの不幸のうち結婚については研究者同士で結婚なんかするから良くないんだと思ってしまった(同業者間の結婚は自由恋愛を隠蓑にした極めてアーリア的思想が見られるので禁止したほうがいい、オフィスラブはマジでキモいしコロナのどさくさで条例レベルで禁止になることを願う)のでそこは割り引いたとしても感動した。

コロナっぽいかなと読み進めていた閻 連科『丁庄の夢 中国エイズ村奇談』をやっと読み終える。ゾンビドラマほどではなかったものの、集団的病との向き合い方をねちねちとしたタッチで長綴る救いようのない話だった。読んで損はなかった。小説がうまいかどうかはわからなかったし、すぐ他のも読んでみようと思う。家のどこかにはあるんだよな。出自が人民解放軍の創作チームなだけあり解放感はあった

最近みんなただの気に食わないことや不幸のことを、安易にディストピアと形容しすぎなんじゃないかと不安になり、本来的なディストピアSFでも読もうかなと思ってペレーヴィン『iPhuck10』をだらだら読んでる。たまたま見たあらすじがかっこくて買ったやつ

"性交が禁じられた近未来、アルゴリズム警官に課せられたのはこの世界との対決だった―現代ロシア文学の旗手による最新にして最高の悪夢。ベールイ賞受賞の巨編。"

かっこいい… ベイリーみたいだ。アイファックはiPhone的なVR性具。それを舞台にAI的な自我や芸術のありうべき可能性を問うている、ベイリーみたいな話だった。プログラミングに明るい人の感想が聞きたい

 

ダモ鈴木アダモちゃんを同一人物だと思っていたことが判明。脳の調子が悪いのか

 

黒沢清ブームが止まらない。旧作をイーベイで輸入して見返す日々。

近作、東京ソナタは初見。役所広司はまたしても自我の無い役でしびれる。アンジャッシュ児島もいじめられる先生役でつくづく素晴らしいすれ違い役者だと思う。なんとこれが役者デビュー作らしい。どおりで二度と無い輝きがあった。そういえば彼は過去すげえ下らないドラマでも「オカマ口調の警官」という鬼寒いちょい役を頑張って演じてた、にじみ出る悲しみが深く可愛い人だと思う。渡部の幸運も児島が逃しているところがあるんじゃないか

 

※以下トウキョウソナタのネタバレ有り

 

トウキョウソナタはベタベタな香川照之の失業に端を発する家庭崩壊モノかと思ったららすげえ曲がる曲がる。父権の崩壊から始まって、専業主婦キョン2、汝(ここで1ソナタ)は果たして聖母マリアなのか、マグダラのマリアなのかという話にたどり着く。イエスなのか気違いなのかわからないのはもちろん役所広司、観たらもう二度とジャワカレーが食べらくなるくらいキモい。で、子供がピアノ教室に救いを見出して、家にピアノが無いのにマジの天才であることが発覚、えっちな先生(釈由美子井川遥、区別ついたことなし)のゴリゴリの勧めで音楽学校を受験することになって、みてる途中でもう明らかに、ピアノの試験で家庭がひとつになるラストが伺えるわけ。娯楽映画だしやっぱソナタっていったらベートーベンの8番かな、きっとワンカットでアテフリしてそのまま展開部でエンドロールが始まるんだエモエモなラストなんだろうな……とかわくわくしてたら、

ラストで弾く曲がドビュッシーの月光!!!!!!!!!!!!!!ソナタじゃないしなんでそーなったっていう話、心拍数上がってフナッシーくらいの勢いでめちゃめちゃに動悸がして気持ちが乱れたけどそれ以外ほんとうに良い映画だったな、香川照之ってゴミ人間の芝居うまいな〜東大出なのにね