ハラ田ショー吾

こんな時にタバコが値下がりという奇跡が起きた。というのも一斉値上げのタイミングでアメスピが本数が減って400円という財布にとても優しい商品が爆誕したのでR。やるじゃんJT、美味しいのでたくさん買っている。

この際JT株の配当で煙草をできるだけ買ってみようかなと思って株を(もちろん少額で)初めてみた。まともな日本企業なんてもうわずかしかないし、新聞読んでれば結構勝つのは簡単なんじゃないかと思いつつ、たった数百円の利益のためにいちいちチャートを見なければならないなんてアホらしい。相場が荒れてなければ1時間くらいかけて週3%は増やせるんじゃないかと思う。数弱円ずつ利益を捻出して少しずつJTの株を買っていこう、いまのところ年3箱は配当で賄えるようになった…株の値動きはすごく可愛い。ナイーブな友達のツイッターみてるみたいで愛着がわく、いろんな思惑を受けて無駄に動いている折れ線から啓示を受けるなんて大人がすることじゃない、とてもみっともない行為だと思う。ポルポトは子供相場師で裏金を増やしてたりしてな。給料日からカードの引きおとしまでの遊びを見つけてラッキー

たまにはと思った邦ノッベルに見切りをつけてエドゥアルド・メンドサ『グルブ消息不明』を読み始めた。海外小説は無駄が多いから好きなのかもしれない。爆弾がよく出てくる理由もそれか… 宇宙人の生活が綴られた悲しいくらいシンプルで無駄な日記。ツレの宇宙人がいなくなって、仕方なしにスペインでの暮らしに溶け込んでいくAIビルドゥングスロマンという趣(描画、作曲とともに文章生成のレベルが上がっている最近のAIに、学習と同時並行で小説を書かせたら面白いんじゃないかと思う。書きぶりがだんだん精度と彩度を増していって、という書き手ごと成長してしまうスタイルはありな気がする。『Maノ山』sarg9gb32v;onlkh0サナトリウムhheh… という具合だと立ち読みして誰も買わないのが欠点かも。赤ちゃんって賢いな。AI美空ひばりはいまいちだった。世界的ベーシストはなわのほうがまだ美空ひばりに似ていると思う。ぼやっとしたオケが入ってくるラブソングを万年量産しているaikoこそAI化に適している。新型爆弾の被害から31年後、ネオ紅白歌合戦では今年もAIkoの新曲が復興の希望の光を灯す。aikoのほうは二代目イルカを襲名して総入れ歯の南こうせつとコラボ)。

国分寺の古本屋は仕入れも買取も頑張っていて驚く。ウンベルト・エーコ(コイケ、カノウと並ぶ世界三大エーコのひとり)とカリエール『もうすぐ絶滅する紙の書物について』など数キロを購入。この本はパルプとしか言えない紙質が匂っていて絶対皮肉だと思った。酸っぱい本読んでるとトイレの回数が増える。エーコフローベールが珍説奇説に執着しているのが好きだと言っていてぶちあがった。フローベール(ずっと読まず嫌いだったというのはまずハスミンの取り上げているものは何一つ面白くないというのが家訓だからというのと、子供の頃妙に潔癖で表記が統一されていないものが赦せなかったのを引きずっているフロベールフローベールの二重の音が頭を占拠するのが本当に無理だったという理由で、巨人のマルチネスもそれで思い出すだけで反吐が出るけどいいバッターだった。案外センターに綺麗に打ち返すんだよねあと時差も無理すぎて友達が海外に引っ越して別の時刻を過ごしている事実にキモすぎて泣いた)のサランボオをなんとなく買った罪が赦された。ニコルソン・ベイカー『中二階』は無駄がミクロな範囲に制限されていて退屈だった。数十年前の実験小説を手に取った自分が悪い。一時期脱出ゲームにドアを開ける、チャックを開くなどやたら無意識の行動を仕向けるトレンドを感じたけれどそれに通じるものがあった。『もしもし』はテレホンセックス小説で面白いらしい。そっちだったかな

多和田葉子がひとつの小説のありかただと言及していた岩波現代文庫の『チェルノブイリの祈り』もそんなかんじ。事故から10年後にいろんな立場の人を取材して、話を聞いたまままとめたインタビュー集。岩波だしどうせ罪悪感強要ポルノなんじゃないかと避けていた(岩波知識人はマゾヒストって意味だし)けれど、みんな無駄な脱線と自分語りばかりで面白い。ロシア人は哲学(愛知のほうじゃなくてブックオフの分類としての雑学(大カテゴリ)ー哲学(小カテゴリ)のほう。ちなみに店舗によっては自己啓発ー哲学のところがある。清水邦明がヘビーユーザーでは仕方がないとはいえ酷すぎる何よりも臭くて汚ねえライブハウスみたいなチェーンが蔓延っているのは識字率の高さの証かもしれない)を皆持っている。国民性なのか、コミュニケーションの型なのか、それともカタストロフを経験して達観できるのか。そのどれにせよなんとなく生きててはいかんなあと思う。もっと早く読めばよかった。ロシア文学の饒舌さは凄まじい。私は小学生のとき暇すぎてカラマーゾフの兄弟を読んで以降、超おしゃべりになった。それまではシャイボーイだったと思う。あとはその影響で集団で走り回るのも大好き。金借りるのも好きだ。にんじんは最近好きになった!!

 

 

ニジンスキーとルナアルどっち想像しましたか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

狩うどんの夜

巷の積もるうっぷんに呼応してか最近の週刊誌ゴシップはキツい…が、内情を知っていることを面白おかしく歪めて書かれることは案外、当事者としてイライラしないことは発見だった。しかしそんなレベルじゃなくてブラザートムの熊本復興不倫記事が最高だった。彼は人でなしバイアグラ購入強要男だ、という意見が多いけれど、案外奥ゆかしい。「バイアグラは手に入るのたろうか」だって、天皇みたいな頼み方でむずかゆい上品さかあって良いよな。放置プレイのスクショも最高によかったから今月のカレンダーにして活用しています。スクショされてんだから放置プレイとしては失敗してるんだけど

https://twitter.com/masupuru/status/1316223221696327683?s=21

 

軽めで上手な小説が読みたくなって紗倉まな『春、死なん』を買った。自分と遠い話を書いていて、その方法だけで素晴らしいと思う。はっとするような巧さではなくて淡々とした妙味がある、のと同時に結構不器用なところがあって伏線を比喩として回収するところなんかは単純すぎて編集に口を出されないのが不思議なレベルなんだけど、ジジババのことを知りすぎていて不気味だ。きっと不健康な仕事仲間が多いんじゃないかと思う。汁男優の太り方とかチンコとか意味わかんない形してるもんな。表題作は先立たれたジジイの性欲の話。そっちじゃないほうの小説のほうがよかった。子無しの専業主婦とその母の性欲等女らしさに関する話。石がモチーフになっていて勘がいい。うまずめって石女っていうの知らずに書いてそうな野生み

話として旨味はあるけれど、こんな噺を書いてマナティーはどう思ってほしいんだろうか。一見、成熟した恋愛やセックスへの賛美に見えるけれど、その効果としては逆だろう、読み手の性欲を確実に減退させるものだと思う。外形的にみればみるほど、セックスは滑稽でつまらななくなるし。

小説はありえたかもしれない世界、なりえたかもしれない生活や人生を見せてくれるところに醍醐味があるし、知ってほしい世界があるっていうのはかなり純粋な執筆動機だ山崎豊子石牟礼道子楊逸なんかは正義感をもってその効果をドライブさせている一方、まなTは交わりの無い世界を描いて中高年の生活の彩りを暴露した結果奪っているんじゃないか確実に。残りかすのような性欲に光をあてたら溶け去ってしまうその残酷さを思うと胸が苦しくなる。Tは本業で与えた性欲を売文業で奪って精神のバランスをとってるんじゃないか、それか単なるグロふにゃチンコへの復讐。マナティーのAVみたことないんだけど

 

マイノリティへの配慮は進む一方、なかなかえっちな気持ちになれない人々への配慮は各種コンテンツでないがしろにされている気がする。月並みなロマンスだけでなくて、アクション映画なんかでも肝が一回のセックスにあったりして、そこから先は非色欲者の共感の切符は用意されていない。来るべき超高齢化社会に備えてそのあたり誰かいっぺん整理してほしい。ゴルゴはいいよ、セックスは道具だからな

 

AV黎明期の語り部本橋信宏のライフワークは全裸監督で結実したけれど、それ以外にも身近な社会の暗部を照らしていて正義感と下世話な好奇心に溢れた正直な人だと思う。『AV時代 村西とおるとその世界』は左翼崩れのエロ残業にかける熱さを伝えていて感動モノの長編、それ以降、縮小再生産して何冊も書いているのが本当に惜しい。エロがインテリのニヒルな遊びから単純労働者の切実な必需品に成り下がるまでのドラマは切なくて美しい。この衝撃が尾を引いて新刊はチェックしているんだけど今回の『ハーフの子供たち』はいいと思う。ダンサーとして入国したたくさんのフィリピーナの愛の結晶がどんなアイデンティティを持ってるのかっていうインタビュー。フィリピンのハーフもハーフタレントとして大腕を張って歩ける良い時代になったことはクリーンな時代になったのか、みんな鈍感になったのかわからないけれど、良い方向であることには違いない、中学で野球をしていたとき後輩のお母さんにも一人ダンサーがいて、読んでて急にそのこと思い出した。自分の子供は出てないのに練習試合には何度かそのお母さんが何故かきて、乳ブルンブルンさせて野次飛ばしてるのが好きだった、ランナーたまって打席に立ったら「打たないとコロすよ!!」と大声で野次られて、ハッとしてここでやらねばと遠心力を増して長打を生むべく左手の小指をバットの枝にかけた(野球が合理的になるのは段階的で最近こそ科学的なトレーニングが主流になってきたものの大リーグを意識しないガラパコス野球は精神力が優位だった。落合は仁志にタバコをせびってベンチ裏で吸いながら三冠王。未だにバットを短く持つなど非合理なテクニックが横行している、そんなことするなら絶対にもとから短いバットを使うべき)。結局それでどうなったのかは覚えてないけれど、とにかくその瞬間に後輩のお母さんが入管で言ったとおり本当にダンサーだったのかどうでも良くなったし相手のピッチャーのニヤつきに軽蔑した、フィリピーナに生死を委ねることこそがスポーツの醍醐味なんだからな、公立中学だったから地獄の合宿は無かったけれど、あなたこそ私にとっての佐山聡でした、俺は思いっきり蹴れって言ったよな?今のが思いっきりか?思いっきりいけ、コロすぞこの野郎!!!!

 

 

サムイ伝

親知らずが真横に動き出し隣の奥歯を7割がた粉砕、治療したら残りが縄文土器のような形状になって常に舌を切りつけ続けているため何をしていても楽しくない。飯も苦痛。。。親知らずを放置したばかりに両奥歯をほぼ失った哀しみ、いまこそ両親に伝えたい

 

木下古栗『サピエンス前戯』を衝動買い。表紙のパロがあまりにあざとく綺麗に見えたからだ。町田康は絶賛していないようだけど。あと、出版社が同じだからかサピエンス全史の広告が挟んであるのに感動したから。やたらスーツの壮年が読んでるこの手の本が大嫌いであれは思考の整理学と山本直樹の漫画(新刊はまたしても田舎で親戚のガキとセックスに勤しむ話、田舎にどれだけ憧憬があるのか)と一緒に焚書にしたほうがいい、そんなの電車で読むくらいならディズニーツムツムしてたほうがマシなはず。というか読書は流れというものがあって時事的な意義がある本以外は万人向けの本など存在しない。絶対に!そんなのにいちいち騙されるようではミキプルーンの本当の美味しさはわからないと思う。で、サピエンス前戯は自社の性具の展開に悩むサイバーエージェントの社長の自明なモデルが茂木健一郎の自明なモデルに出会って二人でクンニの可能性を熟議するというもので本当にくだらないんだけど読み終わったら茂木健一郎のこと大好きになっちゃった。御用学者茂木健一郎の活動意義を大所高所から総合的、俯瞰的に説明してくれる本当にいい話だった。脳科学者としての挫折からメディア露出に至る過程のみならず脱税の言い訳もしてくれるし。日経電子版のVC系のコラムをずっと読まされている感じ、才能の無駄遣いという言葉があるけれどこれは努力の無駄遣いってかんじだな。また爆弾が出てきた。

サピエンス前戯っていうのは結局茂木健一郎がアハ体験を経て書こうとしている小説のひとつで、こんなふうに現代小説は小説のなかで小説を書くことしか真に自然になれないという切迫感を感じる。これは別に不幸なことではなくてそれだけ物語という存在に大儀が無くなったというだけのことだろう。音楽だって生の演奏から遠ざかった挙句、過剰なフィルターを使って音楽をしているあいだに「音楽をしてますよ」というサインを出し続けなくてはならなくなっている。そのざらつきをヒップホップのマナーが主権をとったからという解釈はあまりに総合的、俯瞰的に貧相

なんで読む本読む本にやたら爆弾が出てくるのかはわからないけど、きっとノワールのアイコン以上の必然性があるんだと思う。

ここまでで全体の3分の1、次の長編は「オナニーサンダーバード藤沢」だってさすがに読むかは迷う。それよりもディズニーツムツムをしたほうが眩しくて歯痛と退屈に効果はありそう。電車でスマホをのぞき込むと最近の携帯ゲームはかなりパチンコの当たりみたいなエフェクトが多用されている。ドラクエでさえスライムが確変を予告するかのような後光を放っていた。ここまでくるとなぜ大金をはらないで済むのか謎で仕方がない。何かに金をかけるとき特有の後頭部がヒリヒリする感覚なしにスマホ画面から視覚を通じて脳をゆさぶりにくるエフェクトだけで気分が高揚するなんて、よほど魂が浄化されてるか抜かれてるかどっちかだ。どっちにしろ不安。表現の自由が脅かされるとゲバラTシャツを着てたという理由で衆議院会館から追い出されたじじいが騒いでいたが、こっちのアプリのほうがよほどディストピアだ、表現のいちいち確変予告化はしんどい。松屋いったらズゴゴゴ…ジャキーン!!ズゴゴゴ…ねぎトッピング!!!ホワ〜〜ねぎ牛丼お待たせしました!というか主義主張に自覚的な奴がゲバラを好きなことが何より哀しすぎるニュース。暴力のアイコンでしかない気もするんだけどね。遠藤ミチロウと変わらん気が

 

で、買ったのを忘れていた松本圭二『詩人調査』を次に読んだ。唯一ぴんとくる現代詩人が書いた小説。前半は仏文研サークル時代になんで同人を出すことになってどう詩を書くことになったのかという告白。悪趣味な赤裸々さとプレーンな文体が相まって面白い。が、それは助走にすぎなくて、後半は前半の同人サークルの兄貴分が数年後アル中になって、宇宙人の公務員からPCを通じてインタビューされるという話。宇宙人は詩人の素質を探るミッションがあって…それ読んだあとに最近の詩『松本非歌』読みはじめたらまた最高だった。フィルムアーカイブの仕事の愚痴が続いたり。全然恥ずかしくないかんじ。やたら兵器に執着があるけど、戦後詩の歪んだ反復ってかんじで笑える。そいえば詩人調査にも爆弾が出てきた…詩って油断してるとすぐ星座の名前とか出てきて笑っちゃうもんな。

 

バクチクの息子の本にはやっぱり爆弾出てくるんだろうか。親子が別角度の髪型で各々笑わせにきてアイコニックすぎて直視できない。

https://www.youtube.com/watch?v=DUzV0-yQr8Y

 

角川全商品が半額キャッシュバックらしく新刊をまとめ買い。読んだらメルカリでさばいたらおつりがくるかも。本橋信弘(村西とおるの評伝を書きまくってきた人、最近は現代日本のマイノリティを題材にしたエスノグラフィーや郷土史を猛烈な勢いで出してて面白い)『ハーフの子供たち』、『サガレン』、『自閉症津軽弁を話さない』を買った。地方選挙のノンフィクションも面白そうだったけど売り切れ。本当にレシート写メるだけで半額戻ってくるのか。頼みます

リモート日記 ミーハーこゝろ編

相撲取りと水泳選手の素行は問題にしていいかどうか。常に半裸で競技に打ち込む姿を見せてお金をもらっている意味が分からない。トリッキーな乞食だと思う。心の準備もできていないのに不意打ちでCM等で姿を見せつけられるくらいなら、不倫を暴露されてたほうがマシ、半裸真剣マシンじゃなくて人の心があったのかと胸がすくくらいだ。野球はいいよな、しょせん玉遊び、という弛緩した瞬間がありつつも連綿とした人間ドラマを見せてくれる、眉毛の処理の仕方とプレースタイルとの一貫性をみるのもおもしろい…

 

新宿の紀伊国屋で暇したら何するか、最近は「町田康絶賛」の文字をいくつ見つけられるか数えることにしてる。遊びにつられて3のつく数の時だけ絶賛しちゃう世界のマチダコも絶賛の宇佐見りん『推し、燃ゆ』を購入。タイトルと相反する(紗倉まなもだけどこの手法流行っているのか…やっぱお侍ちゃん売れたんだきっと)ベタベタな口語で織りなされるのは、これまでに消費つくされたアイドルを失う哀しみ。アイドル文学は飯田圭織の七夕バスツアー実況スレをもって完成されたことは自明であるにも関わらず!

762 名前:名無し募集中。。。投稿日:2007/07/07(土) 10:55:58.49 0
夜短冊を飾ってたらガイドが「七夕は一年に一度織姫様と彦星が会える日なんです」とかいってさ、ファンの皆さんも飯田さんに会えて良かったですね、なんて言うんだよ

そしたら誰かが急にちいさいこえで「彦星様見つかってよかったねカオリン」なんて言ってみんながざわざわしてから口々におめでとうを言い始めた
俺はそんなこと言えるわけないから下向いて唾飲んでたんだ

どんなバカヤロウがそんな偽善ぬかしてるのかと隣みたらさ
おめでとうとかいってるオッサンがみんな泣いてた
俺も泣いた

どれだけ「私」の体調が悪かろうが、天気に情景を重ねようが、こんな美しい現実に勝てるわけがない(モーニングコーヒーでは巨木っぽかった飯田圭織はサマーナイトタウンの頃から急に可愛くなった。大林素子のようなオーラをまとう素敵な女性だと思う。永野はずっと大林素子のモノマネをし続けている。大味で勘が鈍いけど彼からはノアの箱舟に芸人としてたった一人乗り込みたいという終末的気概が感じられて好きだ)。読んでて無性にカオリンのことを再び好きになるくらいだった。でもこの小説は結構読まれてるっぽい。本屋では平積みだし友人と本の話をしてもそこそこ人気だ。全町田康も泣いている。なぜうけるのか、理由を考えてみました!

1.飯田圭織バスツアーの件を知らない

2.飯田圭織バスツアーの件を知っているが、宇佐見りんのパーソナリティに魅力があり、著作を通じて理解を深めることを興味深く感じている

このいずれかだと思う。後から知ったけど作者が若干20歳の大学生で、容姿もメディアに露出していた。読む前に知っていたらもっと面白かったかもしれないな。絶賛されてるからってぼーっと読んでたらチダコちゃんに叱られます… 小説たるギミックと、ものすごく自分寄りのワードセンスがメリハリ良く混在しているし、めちゃくちゃ真面目な奴なんだなというのは近影を見たから思うわけで

 

ある程度のゴシップや著者のプライバシーが漏れてくるのを私たちは期待するのが自然なんだろう。日常の退屈を吹っ飛ばしてくれと本に適当に縋るこちらの態度が悪かった。いいも悪いも30の男にどう思われようが、良いもの食ってそうな女子大生にとってはどうでもいいことだと思う。でもこっちは切実なんだよ。助けて

 

やっと『ヘヴィ・トリップ/俺たち崖っぷち北欧メタル!』を観た。すごすぎる。自分の中のマーティフリードマンがメチャカコイイジャ~ン、パヒュームモイイヨネ、デモヤッパベイビーメトゥルサイコー、とさけびました。フィンランドの田舎町の地下室でようやく作ったオリジナル1曲だけを携えて偶然の伝説を積み上げながらメタルフェスに挑む。音楽映画の主要曲が1曲だけで寂しくなりがちという問題を回避しえているし、サクセスストーリーも無理がなく冷めない。皆のミーハー心で話が進むのがキモだから。女にもてるのも人がつくのも離れていくのも伝説になれるのもミーハー心で説明されてしまう潔さ。めちゃめちゃ感動するぞ。北欧の人はやたら小道具とかいちいち統一感ある、イケアを支えるセンスを感じ涙

 

タバコが値上がりした。幅はあるけれどタバコを吸い続ける人間は大概バカなんだから、バカへの福祉の一環で税金は安く抑えるべきだと皆で声をあげるべきだ。バカはかわいそうだろう。ファミチキがどんどん不味くなると同時に値上がりしてったらどんな気分になるのか、バカじゃないみんなは考えたことある?

高橋日々是清

茶店の治安が危ない。酒が入ってても入ってなくても関係ないくらいラウドな20前後の若者の集団利用が夕方以降目立つ由々しき事態。関西弁は特に煩い。さくら水産がもしかして禁煙になったのか、せんべろの次はべろごひゃく(べろべろになった状態で喫茶店に入って騒ぐ)という形態に移行しつつあるかもしれない。こうなればいっそぜろべろ(常にべろべろで家から出ない)の境地まで一気に駆け抜けていってほしい。ていうか全員くたばれよ

 

旅行もろくにできず、人とも会う気も起きず気が滅入り書籍爆買いの日々、キャッシングして本買ってるのはカウンセリング受けたほうがいいのかもしれない。残業代に生活費を依存しているので手取りがわからないのも原因なんだよな。

くすぶる旅行欲を察知してか、イタロ・カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』が新刊でもないのにマークシティ地下の本屋で平積みになっていた。心意気を買って購入。いろんな話の冒頭部分を読まされながら掻き立てられた読書欲がカルヴィーノの語りに導かれて作者と読者の関係、偽作の問題、作家心理、読書論に向けられていく。旅っぽくはなかったけれど、悪趣味に真面目なハウツー本というかんじ。何年かに一度読みたくなるかもしらん

 

映画みた。テネットは面白かったけど公開が終わったら忘られるしっかり映画だと思う。細かいことだけど、どう考えても逆行銃の仕組みに矛盾がある気がしてならないんだよな…インセプションみたいに生理現象をハックして拡張していくかんじでもなかったし。でも低音がすごかった。めちゃめちゃ家のmoog触りたくなったな。クリストファーノーランは必ずノワーンって低い音でシンセ使うから好きだ!あれはもうチェロコントラバスじゃダメなんだよ!ノワーン

もうよくわからなく低いパルスをバックに歌うしかないんじゃないかなと思う。スタジオいったりライブしない限りそんな低音聴こえてこないんだけどさ。

 

はしごで行き止まりの世界ってドキュメンタリーを観た。監督を含め全員、家庭内暴力の被害者という共通項のあるスケボー友達の15年くらいを追うんだけど、日常を引きずったトリックに感動しつつも構成に驚き腹が立った。序盤はみんなプーでファックとか言いながらふざけまくんだけど、だんだん人生が沈んできて、うちひとりは酒飲んで暴力をふるいだす連鎖が起きてんのに皆自己責任論を唱え出す、うえに監督がなんで抜け出せたかという示唆もなく、たな漠然と絶対的な成功者としてかつての友人にカメラを向け続ける、なにより酷いのが、監督の顔がダイアンの2人を足して2で割ったかんじ。とにかく顔が好かん。ラストベルトのどうしようもない空気は伝わってくるけど、監督は鬼畜だと思うな、せめて板くらい買ってやれよと思う。そういう残酷な格差を隠してひたすらいっしょにスケボーするクールさはあったが

 

茶店に行って映画見てたらなくなるくらいの金しかないし、スケボーするしかないかもしれない。似たような育ちゆえ勝手に兄貴だと思ってるてっちゃんに久々に会ったら急にスケボーを始めてて必死にトリックきめててウケた。ベアリング変えてまた滑ろうかと思う。板が腐ってないといいけどコケ生えてたらおもろいな。骨折したときに靭帯がもうダメかもと言われたけど、なんとかいけてるっぽい。プッシュするだけで膝がぐらぐらしてひやひやするし楽しいかも。いっぽう膝の関節が硬くなったからかボーリングのスコアは30くらいあがった。引くくらい同じところにいく。山本昌は身体が人より硬いから長いこと現役を続けられたらしいっす。こんなかんじか、という境地

 

リモート日記 深夜編

有り金はたいて2ストのバイクを買った。厳密には有り金をはたいていないかもしれない、残高が足りなかったから。そこはXxXXXしてつまんだ。環境破壊が我々の努力義務だ。エコフレンドリーに善人面してる奴、脇が臭いぞ。全員バイクに乗りなさい。

デヴィッド・グレーバーが死んだ。59で。僕らの世代を救う政治学者だと思っていたのに。たぶんこの世を若くして理解しすぎたんだとおもう。わかった奴から死んでいく。うまいからって一年中秋味を飲んでいたトミーもすぐ死んだ。賢すぎたんだな。

早川文庫の新刊『宇宙へ』をいっきに読み終える。ヒューゴー賞ネビュラ賞、あともうひとつとって3冠なんだってすごい。まあ普通に面白いけど、不気味な理詰めで媚びている感がある。主人公が男社会に生きる女というところ(作者は女性だから自然なのかもしれないが)、隕石が落ちてきてそのうち地球が温暖化するから宇宙に出ていかなければならんという設定、ベタな宇宙モノから環境問題へと接続するところ(と思いきや特に深くリンクしていかないのが残念)とか。でも一番気になるのは上・下巻で一貫しておちんちんのことをロケットに見立ててセックスを誘い合うロケット工学者の夫婦なんているかよってこと。寿司屋の大将が嫁に金玉をイナリって呼ばせてるわけがない。金玉は金玉。栗農家は絶対にクリトリスという言葉を発しないだろう。そもそも別に夫婦モノだからっていちいちセックスしなくていいんじゃないか。NASAの黒人女性計算マンの映画のヒットがこの小説の魅力を下支えしていると思う。あの映画はよかったな、ドリームとかいうタイトルの。まあ良いに決まってるんだけど、いい実話だから。それより田舎の宇宙大好きマンたちがペットボトルロケットを高く打ち上げようとして町中が騒ぎになる映画のほうが泣けたなあ。なんかタイトルがラストでアナグラムになってるってわかってぞっとすんだよ。でもタイトル忘れた。すごグラム!!!

あほなことに努力を惜しまない男の話に弱い。

mubiでアメリカのインディー映画をみている。ジョエルポトルクスのAPEは良かった。センスのないコメディアンの日常がちょっと歪んでいく過程を見せつつ、そいつの放火と暴力への執念が通底している。歪むといってもたまにゴリラの着ぐるみが遠くに要所要所で出てきたりおたくにチップスを強引に食わされたりする程度なんだけど。そこがうまいなと思う。それと反してアーロン・カッツのDANCE PARTY, USAの衝撃はすごい。

https://mubi.com/films/dance-party-usa

基本的にバカしか出てこない。こういう白人中産階級の日常モノはマンブルコアっていうジャンルらしい。知らなかった。もてないけどブロックパーティに通い続ける男が気になる女は親友の恋人のツレだから認知されているけれどつれなくて(女は身の硬いバカ、パーティに行きまっくているから)、それでもなんとなく好きだからか、泥酔した14の処女に性的ないたずらをしたという秘密を頼まれてもないのに告白するわけ、バカだから。噂ではノリノリでやったとなってるけどそうではなくて信じてくれ…みたいな謎の理屈で恥の上塗りをする。それで当然キモがられるんだけど(女は身が硬いポーズをとるから、でも平気パーティに行きまくっているから)なんかドライブ行こうなんて女に誘われて、なんもない遠くの駐車場に行って地べた話すだけ。バカ丸出しで。それで改心して当時14の女の子のとこ行くんだけどその女もバカだから一緒にぼーっと膝突き合わせてテレビ見て元気に過ごしているとこ見て男は安心して帰る、んで、なんだかんだも特になく暇のついでに遊園地でデートすることになった男女が最後に割り勘したプリクラの中で軽く何回かキスするだけっていう話なんだけど、そのハンディのズームでプリクラの暖簾越しに撮るキスっていうのがこの世のほかのキスを全部風化させるようなキスなんだ。もうこういうキスしかダメですっていうくらいの。キスについてそのあと小一時間考えて知恵熱が出た。

その映画の何よりの収穫は、バカの理屈につきあってる間に、みんなユッキーナにそっくりだと思えてきて、ゾッとすることができた点。ユッキーナは筋が半端に通っててすごいと思ってたけどその脳内覗けた気になれます、Jリーガーとの不倫バレ写真にJリーグチップスが映り込んでたり、一般人をおばたん呼ばわりでDMで脅迫して以来やめてたインスタすぐにまたやり出して最初の投稿が「友達のあかたん」だって、もうものすごい半端に律儀なバカで、あの一連の流れは心底心細い気持ちにさせられた。しSNS再開したから今後ユッキーナは人類を恐怖のどん底に陥れるかもしれない。でも全然いいと思う。たかしあいしてるって気持ちさえあれば、素敵やん?感動するやん?